前回はコンプレックスを知ることの重要性を確認しました。ここで復習していただきたいのは、そもそもコンプレックスとは何か?です。この意味を知らずしてこれ以降の論文を読むことは不可能です。コンプレックスについては私が「実学道」のブログ、当ブログにて詳細に論じておりますので、そちらをご覧ください。その他、河合隼雄博士の論書も大変参考になりますので、そちらも併せてご覧いただきますよう、お願いします。そして、これ以降は基本的に、読者の皆様方はコンプレックスについて熟知しているものと判断し、話を進めていきますので、当ブログにおけるコンプレックスは既に「概念」になっていると解釈していただきますよう、お願いします。
ところでなぜコンプレックスの議論をさらに繰り返すように、それも「再考」と題しているのかですが、これまでの私の全てのブログにおけるコンプレックスの議論はコンプレックスのみに限定して論じておりました。実際には人間の心には元型なるものが備わっておりますので、それと自我との関連で本来は論じなければいけないのですけが、近年における、とりわけ、平成世代の方々は、大きな塊を塊のまま論じると理解できないような教育環境にありますから、実際にはありえない状況ではありましたが、コンプレックスのみを抜き出して論じてみたのでありました。これは大変な効果がありましたが、やはり副作用として、コンプレックス以外のことは何も理解できていない状況となっておりましたので、今後は「統合」という作用をそれこそ「個別」に強調しながら話を進めていくことが狙いであります。そこでひとつの問題を設定するのですが、その一つは前回にあげた問題、「 好みなるものはどこからどのようにして現れるのであろうか? 」をじっくりと考えてみたいと思います。
関西の皆様方、ポテトチップスといえば塩ですよね?北海道の皆様方、焼き肉よりもジンギスカンですよね?九州の皆様方、魚は鯛よりもイサキですよね?沖縄の皆様方、焼き肉よりもステーキですよね?
前述した各地方の食べ物に関する大まかな好みを表現したのですが、例えば、関西人の全ての人が塩味のポテトチップスしか食べないというわけではなく、関西の人々の多くはポテトチップスの塩味を好んで購入するという意味です。ポテトチップスに限定して話をしますと、私が全国各地を回って思うのは、塩味をあれほどまでに好むのは関西地方のみでありまして、例えば、九州の福岡県を例にしますと、関西地方では考えらえないほど多くの種類のフレイバーのポテトチップスが販売されています。これは九州の他の県においても同じことがいえ、さらには北海道でも沖縄でも同じことがいえますが、フレイバーの種類の多さは福岡県が他の都道府県を圧倒しており、同じ日本人でもここまで食べ物の好みに違いがあるのかと驚かされます。それと同じ趣旨のことを前述四県を代表例として記述したのですが、ではなぜそのような違いが生れるのか。しかし、違いがあれ、ポテトチップスの塩味は日本全国のみならず、世界中の人々が食べる非常に普遍性の高いフレイバーであるわけで、ここで「共通」と「違い」という対立概念が発生します。ここに元型とコンプレックスとを結びつけるヒントがありそうな気がするのですが、このブログの読者の多くはそのことよりも対立とは何か、すなわち、好きなのに好きではない状況とはどのようなことか?の方に興味があると思われますので、先んずこの件からやっつけようと思います。
例えば、関西や関東に生まれ育った人が鯛とイサキの両方のうち、どちらを食べるかですが、これは圧倒的に鯛でした。私の友人の内で調べた結果ですからサンプル的には非常に少ないのですが、鯛が好まれます。ところが、九州地区においては事情が異なりまして、イサキの方が好まれます。また、釣りが好きな人が仲間同士で釣りに行き、イサキが釣れた場合、こっそりとクーラーボックスの底の方に隠しもって家路につくとされていまして、要は、それほどまでにイサキを好む傾向にあるということです。かといって鯛が嫌いなわけではなく、鯛とイサキならイサキを選ぶというコンプレックスです。他方、関西と関東地区の私の友人はイサキが嫌いなわけではないが、鯛を選ぶというコンプレックスです。どの地域においても鯛もイサキも両方好きでありながら、一方を排除するようになります。これはまさに鯛とイサキで対立が起こっているからであり、「両方ともうまいながらもどちらか一方」という心の作用を見て取れます。では両方とも同じ程度に好きな場合、どうなるのかですが、このような状態の場合、人間の思考は停止します。心理学的には退行という現象です。そして停止したままの状態は、実は長く続かず、プラスの方向かマイナスの方向かのいずれかに舵を切ります。これを永久磁石で例えますと、永久磁石の、真ん中には磁力がありませんから金属は引っ付きません。しかしながら、永久磁石を磁力のない真ん中で切ると、たちまち磁極が現れます。このようにして常にプラスとマイナスという対立する磁極が一つとなっているのが特徴です。人間の心も同じで、対立しながらも常に一つであり、その対立の在り方が偏ると神経症となり、バランスが取れてれば問題はないとなります。
前述のことが要するに、「好きなのに嫌い」という状態を示すものでありまして、ある男性が女性のアイドルグループから、ある一人の推しを選び出せるのはなぜかと考えてみるとき、実に、前述の作用が働いているからではなかろうかという仮説が成り立つのである。では「好みの布置」の構造を次回に見ていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。