心の磁力の活用(具体策 15 布置を考える) | 芸能の世界とマネジメント

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LinQがある意味において危機に直面しているということで、これに関して少しだけでもお役に立てないかと思いその思いを書き綴っております。できるだけLinQの運営とは関係のないことを書くように心がけております。というのも、このような状況の中で信じるべきものは自分自身であり、その他の力に頼ろうとすべきではなく、それゆえに、今回の騒動とはほとんど関係のないことを書くことにしておりまして、しかしながら、全く関係ないことを書くことは本ブログのタイトルから逸脱しますので、少しばかり難解なお話をして繋げていこうと思います。

組織において何か危機的状況が起こった時、組織のリーダーは何か原因を突き止めようとします。心理学的に考えると、そのような状況になる前から対処するように心がけるものですが、一般的にはそのような態度ではなく、やはり、事が起こった時に対処することが一般的となっております。その時に例えば、組織の在り方に問題があることがある程度の理解をされたとき、当然のごとくリーダーは組織改革を行おうとします。しかし、それがうまくいかないわけです。人間の心に表と裏があるように、組織図において公式な組織が作り上げられた瞬間から裏の組織が出現するのです。いわんや、そうでないと組織は機能しないと思いますから、裏の組織なるものが出来上がることがむしろ当然と考えるべきであり、その裏組織が元凶であるから、その元凶を解体すればよいというものではありません。よって、組織改革をしたところで、その改革の瞬間から裏組織ができますから、元凶を見つけての組織改革などはほとんど意味を持たず、組織改革を何度も繰り返すうちに企業が弱体化するのが経営の世界では繰り返されております。

では解決策ですが、ここで布置というものを再考していただきたいのです。例えば、私のもう一つのブログであるロンドンフリークにて東ロンドンのパブについて、布置を中心概念として解説した論文を掲載しておりますが、布置というものを見出し、組織全体を把握し、その問題を解決するのではなく、「対決」するという姿勢が大切だというものです。理由は簡単です。元凶を正した瞬間から元凶が現れるからです。そうであるならば「正さない」というのが方法の一つとして考えられるのであって、そこで重要になってくる考え方が布置であります。この布置でありますが、ユング派の心理学でいえばコンプレックスの議論と非常に深い関係にありまして、ゆえにものすごく難しい内容となります。どれほどに難しいかと申しますと、テレビの特番などにおいて時折、アメリカ政府の捜査機関の分析官がでてきて「プロファイリング」というものを行い、未解決事件の「真相」を探るというのを放送しているのを見たことある人がいるかと思いますが、そのプロファイリングというのがユング心理学でいう「布置(コンステレーション)」のことであります。私は先述のブログにて誰もが簡単にできるような感じで書いておりますが、実は非常に多くの臨床経験がなければ獲得することのできない技術であり、なにより、夢分析を行うことができなければ取得することはで不可能な技術であります。

技術の獲得の困難性というものはここで話を終えまして、ここで先ほど申し上げました「真相」というものを考えてみたいと思います。人はなぜ事の真相を探るのかという問題です。この答えは実に簡単でありまして、人間の心には表と裏があるからです。ですから、法律的な表面的な事件の解決というもので一旦は納得するものの、その事件や事故が起こった裏側の部分、すなわち「真相」を知りたくなるわけです。そして、その真相と法律的対処が完全に一致したときに、事件というものは終結します。これは芸能人のゴシップが人々に愛されることにもその起源があります。要するに、芸能人の平素の華やかさというものに対し、実のところ一般の人々は納得できていないわけです。ですから、裏の部分が出ることにより、一般の人々は一般人としての理解を得ることができ、そこに「納得」という「均衡状態」が生まれるわけです。ですから、本当の意味で売れる芸能人はこの均衡状態をうまく利用することにより芸能界という大海原を渡るのであります。

ところで、では、「真相」とはなんでしょうか。法律で解決したにもかかわらず「裏がある」と思うこと自体に人間の心の欲するところは貪欲であることを知るわけですが、この真なる事実を知ろうとする姿勢はアメリカにも日本にもあるようですし、もちろん、ヨーロッパにもあります。そして古くは中国にてこの考え方が存在しておりまして、ユングが曼荼羅を書いたり「道」などと言い出す、その2千年以上前からすでにそのような考え方は孔子という聖人が作り出した思想をもとに、紆余曲折があったものの、朱子という学者が「理」という概念を生み出し、現在の中国においてもその影響は大きいといわれております。日本でも江戸期にあっては儒教思想は必修科目であったそうで、脱亜入欧という概念で有名な福沢諭吉も論語は全編を暗誦していたといわれております。少し話はそれましたが、では「理」とは何かですが、それは「真相」のことです。朱子は「理」と「気」というものを「太極(図)」という宇宙観で示し、それがまた日本でも受け入れられていくのですが、このプロセスを心理学的に見ますと、土台となる儒教思想が素晴らしいから理なるものに日本人が魅力と感じるというよりも、むしろ、もともとそのような気質にあるがゆえ、理に対する理解を得やすかったといえるのではないでしょうか。また、裏の姿を知ろうとする探求心の強さも古典中国思想と非常に似ており、これらの関連を調べることにより、日本人の心のあり様をより詳細に知ることができるのではないかと考えております。

本日はここで筆を置きます。続きは次回とします。ご高覧、ありがとうございました。