心の磁力の活用(具体策 14 ペルソナと自我を活かす 小括) | 芸能の世界とマネジメント

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芸能界、芸能人のために論じます。

本副題における小括を行います。元々は違う意図で書いていたのですが、その途中でLinQが解体ということになり、それではこの題材で書くのがちょうどよいと感じまして、現在に至っております。芸能人にとってペルソナは非常に重要な考え方であるのはいうまでもありません。一般の人は知らず知らずの間にペルソナに覆われます。学校の先生であれば学校の先生というペルソナを知らないうちに覆われるわけです。というのも、「私は今日の午前8時から午後5時まで学校の先生であり、その後の時間は田中誠一という本来の自分に戻ります」という思いで毎日を過ごしている先生は心理学者以外にいないと思います。また、そのような生活は一般の人にとって精神的に相当な負担がかかると思います。

 

一方で芸能人を考えてみましょう。芸能人は本来の自分と舞台上での自分とを二分するところから始まります。その二分はデカルトの二元論で代表されるような対立を目的としたものではなく、中国の古典思想である「対待」に相当する思想での二分を実現しなければなりません。それを実現可能とするのがペルソナであります。ところがもっとよく観察すると、例えば俳優という仕事を見てみますと、役柄によってペルソナを付け替えなくてはならず、本来の自分、自己と役柄であるペルソナ、そしてそもそもの職業としての俳優というペルソナをどのようにしてコントロールするのかというのはまさに芸能人の自己というものを考えていくと、かなり重要なことになると思います。卑近な例で行きますと、私は経営学者であり同時に心理学者でもあり、そうかと思えばプロミュージシャンでもあります。大きく分けて学者と音楽家という二つのペルソナを持つ場合、自己としての運用の方法がかなり大きな問題となってくるのですが、本日はこのペルソナと自己との関係について述べ、小括しようと思います。

 

まず、ペルソナというのはアニマ・アニムス、さらには影などと比べるとわかりやすい考え方です。というもの目に見えるからです。先生なら「先生」、芸能人なら「芸能人」というように、主体が目に見えて実感できるからです。ならばこれを利用して精神生活を豊かにしていくと何かいいことあるのでは?などと簡単に考える人も多いかと思います。そこで少し考えていただきたいのが、例えば、「未練」とは何かです。私の意味するのは皆さまが思っている未練です。LinQでいえば、LinQが解体となりこれまでのLinQとして今後は活動できなくなる、さらに、場合によっては事務所にすら残れなくなるといった場合、それこそ未練が残るメンバーが多いかと思います。これは何かというと、結局のところペルソナに取りつかれた状況のことでありまして、このペルソナが外れたときの不安感が自我を襲っている状況であります。そしてさらに深く考えて、なぜペルソナが外れると不安になるのかということですが、それは自分の名前、いわゆる「自己」で生きているのではなく、ペルソナで現世を生きているからにほかならず、故にペルソナをはぎ取られるような事態に至るとこの上なく不安になるのです。これが一般的には「未練」という形で表現され、文学作品などにこの未練の物語が描かれるようになると、皆様の心に「哀愁」という形で響き、評価されるようになると考えられます。

 

この考え方をさらに進めるとどうなるかを特に芸能人は考えていただきたい。というのも、自分は自分の名前で生きているのか、それともペルソナで生きているのかを考えないといけません。例えば、LinQの今回の解体の騒動を考えながら、彼女たちのその感情面を描いた動画を見ておりますと、大きく動揺しているメンバーがかなり多いことを知ることができます。ということはLinQ、換言すると、アイドルに未練があるわけです。ではなぜ未練がおこるかというと、何度も申し上げておりますが、ペルソナにとりつかれているからです。ではペルソナにとりつかれると実際的にどのような効果を発揮するかというと、それは「自己放棄」であります。つまり、自己実現とは逆の効果を現在のLinQは実体験しているわけです。自己実現があるからには自己放棄があるのも当然の話でありまして、これがあるから自己実現を親身に考えるきっかけとなるように考えられます。

 

これまでのLinQの皆様方は自己放棄という大きな犠牲を払うことにより成り立っていました。自己を否定し、ペルソナの立場で行動していたわけです。ペルソナはもちろん元型ですから活動しているときにはこのことに気づきません。ですから、頭の中では自己とペルソナを二分できているように思っているのですが、ところが、大きな壁にぶつかったときに不安を感じる、ないし未練が感じられるというのはこれが二分できていないという何よりの証明となります。それではどうすればいいのか。これは簡単で「自己実現」であります。自己実現とはもう一つのいい方をすると、本来の自分と向き合うことです。自己も元型でありますから本来の自分はどのようなものであるかは認識できません。しかし、アイドルに未練があるからには、アイドル、ないし、人前に出て芸をするという本来の自分、換言すれば自己があるとするならば、それを本来の自分ととらえ活動いていくことが必要になるかと思います。簡単にいうと、意識的な二重人格者になることを意味します。

 

意識的にこれができるようになるとペルソナが剥がれたとしても自己という、本来の自分が身を守ってくれますし、それだけではなく、ペルソナに頼る必要もなくなり、不安な要素も減りますから、思い切った芸能活動が可能となるかと思われます。しかしながら、ペルソナはやはり生きていくうえで重要であります。なぜなら、不安があるから行動が可能となるわけでありまして、不安な材料がなければ行動に至るプロセスがなく、そもそも芸能人として成功することもないかと思われます。その意味で芸能人は常に何らかの悩みを抱えているものです。私にいつも相談に来る芸能人も多いのですが、その方々が常に口にするのが、「この理由のわからぬ不安感がなくなればもっと活躍することができるのに・・・」というものです。ところが私からすると、その理由なき無意識の犯行が芸能人にとっては最高の贈り物であるといいたいのですが、なんといいますか、このような二律背反した世界の「あいだ」で生きていくのが芸能人や芸術家の真の姿であります。

このようなプロセスの流れは易でいう「太極」という考え方が非常に参考になりますし、これをさらに理解していくうえで「理」、「中庸」、「道」、「天神合一」などの考え方であります。場合によっては陽明学の「知行合一」など、実はユング心理学は古代中国思想の影響を大きく受けておりますので、その意味で、「自己」というものを真剣に考えていくならば、これらの思想を勉強していくことをお勧めします。

ご高覧、ありがとうございました。