余談の時間(個性?と個性) | 芸能の世界とマネジメント

芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

基礎編の速度を落としておりますから、今回は余談の時間としてやっていきます。このネタを取り上げるかどうかについてはかなり迷ったのですが、やはり一般の方はこのあたりのことが知りたいと思いますので、思い切って書いてみます。まず、なぜ今回はそれほど迷ったのかについてですが、今回のようなことを書くと必ずや、「では、詳しい方法を教えてほしい・・・」とのご連絡をいただくことです。これが私にとっての恐怖体験でありまして、具体的な方法はあるのですが、死ぬほどつらいことですから多くの人は途中であきらめてしまい、もっと楽な方法を探そうとして余計にダメになるというネガティブ・フィードバックを何度も目にしております。ですから、自己実現とは死と再生をイメージさせるものとして理解していただくために今回は書いてみます。

 

まず、近年においては個性という言葉をたくさん使われております。例えば、服装が派手な人を見て「個性ありますね」とか、少し言動のおかしい人を見て「個性的ですね」とか、音楽ステージで派手な動きをするアーティストをみて「個性あるミュージシャン」といったりします。果たしてこれが本当に個性なのかということです。これを見分けるのが難しいところですが、例えば経験の浅い男性のミュージシャンが頑張って女性に近い姿に変装するような、いわゆるビジュアル系のスタイルをやってみたとします。これが一般的には個性的と見られるわけですが、果たしてそれは本当の個性であるといえるのかどうかという問題です。例えば、ビジュアル系のスタイルは非常にアニマに接近しております。いわゆる男性の女性化であります。もちろん男性には女性的な一面を心の中にとどめております。ゆえに、女性的なスタイルをすることに異論はありませんし、それはむしろ無意識との葛藤であり、非常に素晴らしいと評価するべきだと考えております。しかし、その一方でこのような心配もしております。それはどういうことかというと、意識的にアニマを出しているのであれば結構な話ですが、意識せずにアニマが出てきている場合は大変かつ、大きな問題がその主体の「心」には発生しております。そうです、統合失調症というやつです。また、次の心配もあります。意識的にやっている場合でも、ただ単に「ペルソナ」に自我が侵されているだけの場合もあり、これもまた非常に厄介な問題であります。

 

これは今に始まったわけではなく、フロイトやユングが心の問題に触れだしたころには既に問題となっていることで、その問題は現在にまで至っております。これがなぜかというと、個性化、ないし自己実現というものがやはり、とても難しいことだということが原因であると考えております。途中で逃げ出す人が多いわけです。例えば、ペルソナに自我が動かされている状況では、ペルソナが完全に機能している場合はいいのですが、意識の力が強くなり、自我がペルソナを受け入れられなくなった時、すなわち、仮面を剥がれた時、その主体はただの人に戻ってしまいます。ここから立ち直るには個性化しかないのですが、これまでの話でお分かりのように、剥がれた仮面の人間がどのように復活するかを考えてみたときに、どれほど厳しいものかは簡単に想像がつきます。

 

多くの人は個性化を生まれ変わりと認識されているようですが、そうではなく、あくまでも意識と無意識とのバランスの問題であり、元々の器は既に決まっているわけですから、その決められた枠内で崩れたバランスをどのようにしてとるかを考えていかねばなりません。個性化して違った自分が出てくることではなく、個性化とは本来の自分を認識し、主体そのものに納得させることであります。これは中国の「易」の考え方と非常に似ております。また、この易の考え方は近代化学においては「細胞分裂」の現象と非常に似ております。ある細胞が分裂するとき、細胞がAとBとに分かれますが、それが統合され、分化と統合が繰り返されることにより生命が発生し、維持される仕組みです。例えば人間であるならば人間としての範囲の中で細胞分裂が行われるわけで、細胞分裂が起きた結果として、ついでに猫まで出てきましたということではないことは皆様方も既にご存知のことであります。これは易の太極という円の中で両義になり、両義は四象、八卦になっていく過程とほぼ同じ考え方であり、この「太極」の考え方はユング派心理学でいう「自己」の考え方に通じるものがあります。そう考えると、やはり人の心はもともと容量は決まっており、その決められた容量のなかでのバランスを保つことが非常に重要だといえます。

 

ところが、言葉では簡単でありますが、前述の例でもお分かりのように、実際には非常に難しいことであります。なぜなら、容量が初めから決まっているからです。心は取り換えは不可能かつ、容量の増大も不可能ですから個性というものを考えるとき、それはどのような状況なのかを見極める必要があり、とりわけ芸能人はこの点に関して理解を広めていかなければなりません。これらのことを総合すると、個性的な人間になるために派手な格好をしたいと思うとき、さらに、少しおかしな言動をすることにより目立ってやろうとするとき、いったんは立ち止まり、冷静になり自分の心理状態を見極める必要があります。何の計画もなしに行うと見る側のコンプレックスを悪いように刺激し、「炎上」ということになります。

 

芸能界はモノは作りませんが、目に見えないモノをたくさん作る業界です。この点を常に心しながら日々の活動に活かしていただければと思っております。ご高覧、ありがとうございました。