このブログの更新も月に2回に限定しておりますので、前回の更新から随分と時間がたっておりまして申し訳ありません。読者はほとんどおりませんから、ボチボチと更新できたらと思っております。
前回は差別化やそれに付随する話を行い、今回につなげるていくように予定しておりましたので、その通りにやってみたいと思います。まず、元ネタ、すなわち、過去にマトリクスによるマネの標的を作り、それに近づけるよう頑張りましょうと言ったまではいいのですが、何事もバランス重視の深層心理学という学問でありまして、ということは、接近しすぎてはいけませんし、また、距離を置きすぎるのもよくないということになります。ではどのような距離感がいいのかというと、「近からず、遠からず」の距離です。これも実際にメートル法で表せるものではありませんから、どうにも言えませんが、ファンとマネの標的の間に自分を置くとすると、1:1の関係ということができましょうか。このバランスが崩れると個性が失われると考えるのが妥当でありましょう。
なぜこのような考え方になるのかという根拠ですが、芸能でいう元ネタというのは、深層心理学では「元型」でありまして、これの詳細は「実学道」のブログを参照していただきたいのですが、人間の心の奥深くに共通する「像」というものがありまして、これが芸能界においては「売れてるパターン」となるわけです。これは結局何のことかというと、「売れる人は昔から現在まで共通の要素がある」ということです。大昔、太古の時代から不変のものと考えるものでありまして、ゆえに、その「型」にはまった人だけがブレイクするという「法則」が存在するのではないかという仮説を示すものであります。これはハウツー的な法則ではなく、理論としては簡単ではありますが、実践するには非常に難しいという事実があります。これがゆえに既にブレイクしている人を真似すればブレイクすことは容易であるように思えるのですが、実はそこには落とし穴がありまして、真似をすれば確かにある程度の人気は出ます。人気が出てくると「マネすれば売れるものだ」と思い込み、マネのスパイラルが始まります。そうするうちにどんどんとただのモノマネとなってしまい、最後に「自分」というものを失ってしまい、そこに「個性」といものも同時に失ってしまうのです。これでお分かりだと思いますが、標的に接近しすぎる、ないし、接近どころか標的に「同化」するようなことになると逆にブレイクから遠ざかることになります。これを回避するには「適度な距離」を保つことが必要であるということが必要になるということです。
深層心理学的な考えからすると、元型というものは人類普遍でありますが、それに「呑み込まれる」といわゆる精神病となり、治療の対象となります。これを芸術の世界に置き換えると元ネタに呑み込まれると表現できましょうか、元ネタを愛するがゆえに元ネタから離れられなくなり、そこから出てくるのが皆様もご存じの「パクリ」であります。このパクリは、ある人があるアーティストを愛しすぎるがゆえにその中に入り込んでしまい、抜け出せなくなった状態にパクリが発生すると私は考えております。しかも、本人はあの世の世界に入り込んでいるために自分が行っていることが悪いことであることに気づかず、それゆえに問題が大きくなるものと思われます。アーティストが心理学を学び、心のバランスを常に健全なものとする努力をするならばこのような悲しい事件や事故は起こらないと思うのですが、これは実に難しい問題であります。
しかしながら、これに全く気付くことができないかというとそうではなく、時間との関係において元ネタとの距離を感じることはできるかと思います。時間には時計で知ることができる時間の「クロノス」、人間が主観的に感じることができる「カイロス」というものがあります。例えば、自分自身がファンとマネの標的との間でバランスをうまくとれているときは、それは時刻もいわゆる「標準時」を流れていて、そこに「自分」という個性が発揮できていると思うのですが、これがファンの方へ寄ったり、マネの標的の方へ寄ったりすると時間の感覚にズレが生じることは容易に想像できます。ファンとの関係は過去から現在であり、マネの標的は現在から未来の「自分」を意味しますから、とりわけ、未来に向けて、要するに、マネの標的に向けて意識が進むとき、時間の感覚は未来へと一気に飛んでいくため、意識状態がおかしくなります。具体的にはどのような状況かというと、ある一つのことに熱中して取り組んでいるとき、時間の経過が「早く」感じられることは皆様も経験していることだと思います。あれと同じ状態となりまして、クロノスとしての時間の進行とカイロスとしての時間の進行が全くおかしなことになり、特に、時間の経過が早く感じられるときには、このマネの標的への執着心があまりにも大きい時であると考えられます。ある標的を真似しているときにそのような時空を超えた感覚に陥ったと感じたら黄色信号と見て、現実の状況をよく見直す作業が必要となるものと思われます。
たまに芸能人の奇行が報道されることがありますが、これはまさに「あいだ」として「自分自身」を失っている状況でありまして、人気が出てからの芸能人というものは既に個性化されていますから「あいだ」の前後がに変化が生じます。過去からのものはファンであることは変わらないとはいえ、ファン層が変わったり、未来に向けてのものに変化が生じ、中には未来へ向けてのものが無くなるがゆえに時間の感覚が常におかしな状況となったり、また、未来に向けての別の目標に没頭するあまり、時空を超えたわけのわからない行動に走り、その結果、ファンをないがしろにしたりする芸能人がいるのも事実です。
一般の人を例にすると、国際人になるべく外国の大学へ留学し、卒業後もしばらくは現地の企業に就職し、自分では真の国際人となった自信がつき、日本に戻って日本企業に就職したところまではよかったのですが、日本人であるにもかかわらず日本の文化に馴染めなくなった自分に気づき、結局は全てが中途半端に終わっていった日本人であるとか、例をだすときりがないのでこのくらいで止めておきますが、そして何度もいいますが、元ネタに接近しすぎると戻ってこれなくなる危険性が高くなるがゆえに、ある程度の真似を行うことができた時点で元ネタからは距離をおき、自分自身の中へ「統合」していく作業に取り掛からなくてなりません。この点については実学道のブログにおいて、「女性らしくあるために男性性を入れ込む」という例を使用し説明しております。
さて、LinQの皆様は実はこれをごく自然に行っているので、逆にこの文章を読むと「簡単なことを難しく書きやがって!!」といいたくなるかもしれませんが、できない人がほとんどですから最後までお付き合いいただきたいのと、Linqをみればその微妙なバランスを実際例として見ていただくことが可能ですから、是非とも生の彼女たちを見てあげてほしいです。
今回はこれで筆をおきます。ご高覧、ありがとうございました。