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子供の元気を応援するキッズソフトクリエイター「リンクル」のブログ

私が作った知育ソフトの紹介や子育て・学び、男性と女性の違い、心に残る言葉,、気になったテレビドラマ、番組、ふとした日常、昔の思い出など 自分が気になった事、興味あることなどを書いています。
申し訳ありませんが、勧誘と思われるコメントは受け付けておりません。

去年、テレビドラマ「コウノドリ」というドラマをやっていました。
出産にまつわる色々な出来事がでてきました。

実は、わが家でも長男の出産では、とても大変なことが起きました。

子供は普通に生まれるものだと思っていた私は、
妊娠・出産ということをさ程心配していませんでした。

妻は実家で出産するため、妊娠後期に入ってから帰省しました。
周りで出産に苦労した話しなど少しも聞いていなかった私は、
安心して妻を送っていきました。

出産当日、私は会社にいました。
義父から産まれたとの知らせがはいりました。

しかし、産まれた赤ちゃんは泣きませんでした。
赤ちゃんは、すぐに個人病院から総合病院に搬送されました。
病名は胎便吸引症候群(胎児が胎便で汚染された羊水を気道に吸引することにより起こる呼吸障害)でした。

私が妻のもとへ駆けつけると、かなりショックを受けているようでした。
総合病院にいる赤ちゃんのところへいってみると、
無菌室のガラス越しの向こうに、
ガラス箱に入り、足に管が刺されている状態で、
小刻みに息をしている赤ちゃんがいました。

先生からは、もしかしたら肺に穴が開くかもしれないから、
その時は脳にダメージを受け、後遺症がでるかもしれないと言われました。
その時初めて事の重大さを知りました。

それから毎週土日は妻の実家へ寄りながら病院に行く生活が続きました。

2ヶ月ほどして子供の病気は快方に向かい退院することができました。

出産というのは、本当に何が起きるかわからないものです。
男性である私が言うのもなんですが、
できるだけリスクになるようなことは、避けるにこしたことはありませんね。
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秋に撮った花の写真です。とても大きな花なのですが、なんという花でしょう?


最近、台所(キッチン)の換気扇から、
何かが磨っているような異音がするようになりました。
結構耳触りな音です。

わが家の換気扇はドラム式(シロッコファン)になっていて、
ドラムが回転することで風を送りだしているようです。

ドラム部分はもう何年も掃除したことがありません。

中を見てみると、それはもう大変な状態になっていました。
これでもかというくらい油がこびりついていました。

私は、ねじ等を外して、油まみれのドラムを取り外し、清掃しました。
さらにドラムが入っていた囲いの部分もそれなりに清掃しました。

これで大丈夫だろうと自信満々で取り付け、
ドラムを回してみると、
どういうことでしょう?
異音は相変わらず聞こえてきます。

むーー。
原因は他にあったようです。

ドラムを回して、よくよく耳を澄まして聴くと、
どうやらドラムを回している軸の奥から聞こえてきているようです。

さすがにそのカバー部分まで外すとなると、
また一苦労です。

油汚れを落とすのに結構疲れてしまっていたので、
ダメ元で軸部分のわずかな隙間めがけて、
潤滑剤のCRC(KURE 5-56)をノズルをつけて吹きかけました。


すると音が静かになりました。
私は、さらに数回吹きつけました。

やっと音はしなくなり、
風の音しかしない状態になりました。

結局、ドラムの油汚れと異音は関係なかった訳ですが、
綺麗になったので、良しとしましょう。

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年末に那須に行ってきました。
翌朝、早く目が覚めたので外を見てみたら、
綺麗な朝焼けが地平線一杯に広がっていました。




朝日が昇り、天気は良いのですが、
なぜか雪の粉のような物が舞っていて、キラキラと光って見えます。
これはダイヤモンドダストだったのでしょうか?


散歩をしていると、道の脇に飲み物の缶が捨ててあることがよくあります。
 
以前、テレビで「Broken Windows」というものを紹介しているのを思い出します。
一つの窓が割れている状態を放置すると、いつの間にかすべての窓が割られていく。

というもののようです。

確かに、壊れていたり、汚れていると、そこはそういう所なのか。
と思う傾向は有るような気がします。

私は、これ以上空き缶が増えないよう、
散歩の帰り道に手に持てる程度の空き缶を拾って、
空き缶用のゴミ箱に捨てます。

ここや公園に空き缶やゴミを捨てるのは、
どうやら若者のようなのですが、
なぜなのかと考える事があります。

ゴミ置き場がないからなのかな?

ゴミ置き場があれば、ちゃんとそこに捨ててくれるのかな?

すこし行けば、空き缶を捨てる場所はあるのだが。


捨てていく人は、
誰かが掃除してくれると考えているのかな?

もし、だれもきれいにしなくても、
自分の敷地でもないからいいや。くらいに考えているのかな?

ただ、それができるのは他の人達がやらないからなんだよね。
もし、すべての人が公共の場にゴミを捨てていったらどうなるだろう?


道は空き缶やゴミだらけで、その内、
自転車や車も通れないような状態になるだろう。

ゴミをかき分け歩くのがやっとということになるかもしれない。

まさに公共の場全てがゴミ屋敷状態となることだろう。

実際は、そうならない訳だけど。

結局のところ、空き缶やゴミを捨てている人というのは、
世間に甘えているということではないだろうか。


もし、当人たちにこのことを伝えたら、
空き缶を捨てるのを止めるかな?

・・・。

それとも絵やキャッチコピーで表現したらいいのかな?

「みんなで空き缶を捨てていったら、最後はどうなる?」

みたいな。

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花と青い空  この景色だけ見ると夏のようです。






以前から生き物って、不思議だなあ。
とは思っていたのですが、
最近、高校生の娘から生物のことを聞かれて、
その教科書を読んでみると、
「なるほど、そうだったのか。とか、へーそうなんだー」
と思う事があったので、当たり前のことかもしれませんが、少し紹介したいと思います。


私たちの細胞の中には、「ミトコンドリア」という物体が存在しますが、
この「ミトコンドリア」が、エネルギーを作る源になっています。
この物体が存在しなければ、私たちは継続的な活動ができないのです。

しかし、最初から細胞の中に存在したわけではなくて、
ある日、細胞の中にやってきて、すみつく形で今に至っているようです。
不思議なめぐり合わせですね。
或いは、必然だったのでしょうか?

「ミトコンドリア」は独自のDNA(遺伝情報)を持ちます。
そして、卵子からしか引き継がれません。
つまり、私たちのミトコンドリアはすべて母親から女の子へと面々と受け継がれてきた物です。


ここからは私の独り言です。
私は、生命の誕生や進化というものを偶然の産物だと考えていました。

それは、気の遠くなるほどの試行錯誤の繰り返しの結果、
その環境に適したものだけが生存するという、
自然淘汰の原理によるものではないかと。

しかし、試行錯誤の繰り返しだけで、生命は生まれるのだろうか?
偶然にも生まれたとしても、それはすぐに無くなってしまうような存在でしかなったはずです。
生命の継続はどうやって行われたのだろう?

遺伝情報の作成や複写、記憶、本能など複雑な現象が、自然に起こるのだろうか?
考えれば考える程不思議でなりません。

やはり、生命の誕生や進化というのは、
何かしらの力が作用しているのでしょうか?

そんなことを、いくら考えてもわかるわけもないのですが。
生物とは本当に不思議な世界です。

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散歩していたら、すぐ近くに飛んできました。


丁度、近くから見える富士山がダイアモンド富士になっていました。


 
以前あった「思い込み」による出来事を物語として書いてみました。

昔、とある国では、隣町に行くために、前もって通過申請書を「関門所」に出す必要がありました。

私はその「関門所」で申請書と申請者を確認する仕事をしていました。

朝の早い時間であったため、人通りも少なく落ち着いた普段通りの土曜日でした。
そこへ少し年配のおばあさんがやってきました。

まだ頭も体もシャキシャキした感じで元気がよさそうでした。

「あたしは、パルーシ村のルージーというものだ。」
「今日は、隣町に住む孫の誕生日なんだよ。」
「申請は出してあるからここを通しておくれ」
「誕生日のアップルパイが冷めてしまうから、早くしておくれよ」

「はい。確認しますから、少しおまちください」

「ルージーさん。悪いけど、申請はでていないよ」

「そんなはずはないさ。確かにあたしがここへ出しに来たんだから間違いないさ」
「もっとよく確認しておくれ」
「この前もあんたらは、間違えたんだよ」
「もっとしっかりしておくれよ」

「そう言われてもねー」
「無い物はないから、しかたないよ」

「まったくあんたら、ちゃんと仕事してるのかね」
「そんな仕事ぶりじゃ、こっちが迷惑するんだよ」
「あんたらの仕事ぶりは、ちゃんと町長に報告しておくからね」
「覚悟しておきな」

「わかったよ」
「もう少し調べてみるから、少し待っててくれないかい」

「まったくしょうがないねー」

私は、今日の日付の申請書をもう一度1枚1枚丁寧に確認しましたが、
やはりその人の申請書はありませんでした。
そこで、もしかしたらと思って来週の土曜日を確認してみる事にしました。
すると、そこにルージーおばあさんの申請書がありました。

「ルージーさん、来週の土曜日に申請があったよ」

「えー。何だって」
「どういいうことだい」

「ルージーさん。お孫さんの誕生日はいつですか」

「えーと、12月の12日の土曜日さ」

「ルージーさん。今日は12月5日の土曜日だよ」

「あれまー。あたしとしたことが。年はとりたくないもんだねー」
「あたしゃー、てっきり今日だとばかり思っていたよー」
「酷い事を言ってすまなかったねー」
「この前も間違いがあったから、てっきりあんたらの手違いだとばかり思ってしまったよ」

「そんなことがあったんですか」
「それは申し訳ないことをしましたね」
「まあ、これでお互い様というところですね」
「でも、自分が間違っている事もあるから、
 あまり言い過ぎない方がいいんじゃないでしょうか」

「そうだね。」「あんたの言うとおりだ」
「これからは、気を付けるよ」


しばらくして、休暇の日に街の中を歩いていると、向こうからルージーおばさんがやってきました。

「この前は酷い事を言って、すまなかったねー」

「ああ、いいえー。お互い様ですから」
「その後、お孫さんの誕生日には行けましたか」

「ああ、ちゃんと次の週の土曜日に行ったよ」
「孫は私の作る特製アップルパイが大好物じゃから、とても喜んでくれたよ」

「それは良かったですね」

「そうだ、今度あんたにも私の特製アップルパイを御馳走するよ」
「これが私の住所だから、いつでも来ておくれ」

「ええ。ありがとうございます」
「私もアップルパイは大好物です」
「近いうちに必ず伺います」


「ああ、待っておるよ」

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紅葉がきれいな季節になりました。



先日の「掟上今日子の備忘録」第6話で、とても良い言葉があったので、
紹介したいと思います。

状況設定はこんな感じです。、

孤独が好きな中学生の女の子がいて、
自分の趣味・嗜好など他人には知られたくない事を
知られてしまったため、その相手に殺意を抱き、
その人を巻き込む形で自殺を図ります。

その相手がいつもついていない厄介さんなわけですが、
サバイバル術に長けていたことから二人とも一命を取り留めます。

人それぞれなので、何とも言えませんが、
思春期の少年、少女は特に自分の内面を隠したい傾向にあるように思います。

自分の若いころを思い出すと、その傾向は強かったような。
今でもそうかもしれませんが。

厄介は、病室で点滴を外して半ば死を待っているその中学生に対して、
話した言葉が今回紹介したいものです。

西尾維新さんによるライトノベル「掟上今日子の遺言書」が元になっているようですが、
原作本をちらっと見たかぎりでは、この言葉の殆どは
脚本家 野木 亜紀子さんによるものと思われます。

以下、厄介が眠っているふりをしている少女に向かって語りかけた言葉です。


「生きるって、恥ずかしい事なんだ

もしかしたら、世の中には
かっこよく生きられる人もいるかもしれないけど
僕は知らない

そうじゃない

うおさおして
ジタバタして
かっこよくなんかなくて

自分を嫌いになりそうな毎日だ

でも、ここにいる
生きている

だから君も、生き恥をかいて、生き続けよう

みっともなくて
恥ずかしくて
逃げ出したくなる記憶とともに

生き続けよう」



最初、この言葉を聞いた時は、
番組を途中から見ていて、何となく聞き流したのですが、
最初から、このドラマを見てみると、
凄く感動しました。

よくぞ、「生きるって、恥ずかしい事なんだ」
って言ってくれたという感じでした。

この言葉というのは、中学生の内面の話しに留まらないと思います。

人は、自分を取り巻く周りの環境に対して、
ある程度のプライドや自尊心を持っている訳ですが、
時として、それが全く持てなくなる状況もあります。

例えば、
学校が変わった時や
職場が変わった時
結婚、出産などなど

生活環境が変わると、今まで持っていた物では通用しない局面が訪れます。

実は私も、1年ほど前に全く違う職種に転職して、
新しい事を覚える毎日が続いていました。
そんな時は、プライドをかなぐり捨てて、
必死で毎日を過ごしていました。
「すみません」という言葉を1日に何回言ったかわかりません。

今回紹介した言葉は今の自分にも響く物がありました。

端的に言うと、
「生きていると、恥ずかしい思いを一杯するけど、
それを乗り越えて、みんな生きているんだよ」

ということだと思います。

周りの環境と自分のプライドの狭間に悩んでいる多くの人に聞かせたい言葉です。

今回のドラマだけは、消さないで取っておきます。

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この季節になると、良く見かけるのですが、薔薇のように綺麗です。

何となく面白い感じなので撮ってみました。


最近、日本テレビで「掟上今日子の備忘録」というドラマが始まりました。

例のごとく娘が見ていたので、何となく見ていたのですが、結構面白いですね。

私が気にいっているのは、隠館 厄介(かくしだて やくすけ)という運に恵まれない青年と
1日経つと昨日の出来事を忘れてしまうという主人公「掟上今日子」さんとのやりとりです。

あらゆることを淡々と話す主人公とコミカルさと真面目さが混ざったような厄介青年の
何とも言えない二人の交わらない線みたいな関係が良いですね。


ところで、主人公「掟上今日子」さんは1日経つと昨日の事を、忘れてしまう訳ですが、
このドラマを見ていて、ふと、人において忘れるということは、
とても大事な事だということを思いだしました。

2ヶ月程前のことです。
仕事で上司の仕事にミスがあり、そのことをあまり触れずに朝会の報告をしていると、
私の方に落ち度があったかのような言い方をされてしまいました。
私は、かばってあげたのに、なんだよ。そりゃないだろう。という気持ちでした。

本来の私ならば、事の真相をはっきりさせることが性分なのですが、
自分の立場を考えると、今回はそういう訳にもいかない気がしました。

その後1週間位ず~と頭にきていました。

しかし、その人自体本来、それ程悪い人ではないのです。
その内、私の怒りの記憶は序序に薄れ、
今ではすっかりその人と普通に接する事ができるようになりました。

もし私が、いつまでもその事にこだわり続けていたら、
恐らく色々悪い方向に進んでいた事でしょう。

色々な諍(いさか)いにおいて、修復できない場合もありますが、
時が解決してくれるということも結構ありますね。

本当に人は良くできていて、
忘れる事で救われる事っていっぱいあるような気がします。


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太陽が沈みかける時、そこに異世界のような景色が現れる事があります。



反対側には満月の月が姿を現していました。


お向かいの奥さんがワンちゃんの散歩で公園を通りかかった時の事です、
そこにうさぎがいたそうです。

 近くに飼い主もおらずウサギだけがいたということで、
一旦家に連れて帰った時に、
妻と娘がそのウサギをみたらとてもかわいくて、
数日後、ペットショップに行く事になり、
わが家にウサギが飼われることとなりました。

ペットショップで見たらミニウサギの方が気入り、それにしたのですが、
ウサギ本体の値段よりも、飼うためのゲージやえさなどの飼育道具一式にお金がかかり、
支払う時に少しびっくりしてしまいました。



最初は、神経質そうにしていましたが、2から3週間ほどすると、
こてっと横になり、すっかりくつろいでいる時が増えてきました。



私が、早起きという事もあり、朝のえさやりは私の担当で、
朝は、相当にお腹が空いているようで、私がゲージの前に行くと、
早くごはんが欲しいとばかりに暴れまわります。

少しだけ手の中で食べさせてから、餌箱に入れます。

うさぎは抱っこしていると、しばらくおとなしくしているのですが、
隙を狙って突然ぴょーんと逃げていきます。

すると、家の中の隅っこに逃げ込んで、
出たり入ったりして捕まえるのに一苦労します。
それでも、それが本来の姿なのだろうから、
しばらくそうさせておきます。



ペットショップの店員の方が言っていたのですが、
野生では生きていけないそうです。

ペットを飼うという事は、一つの命を預かる事なので、
できるだけやりたいようにさせて、大切に育てていきたいですね。

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先日、テレビでスタジオジブリ制作(米林宏昌監督)の映画
「思い出のマーニー」を放送していたのを見ました。

去年の公開時に、TVで流されていたプロモーションビデオを見た限りでは、
少女の友情物語のような印象でした。

しかし、見終わった時、久しぶりに良い映画を見た気がしました。
そこには、友情を超えたマーニーの杏奈に対する深い愛があったと知ったからです

マーニーと杏奈は偶然に出会いますが、
お互い何故かひかれあい、
何度か会ううちにお互いの不幸な境遇を話し、
互いに相手の方が良いと言います。

出会った時、杏奈は心を閉ざし、笑顔を無くした状態でした。

そんな状態でしたが、お互いを理解する中で、
互いに励まし合い、
杏奈は失っていた笑顔や喜びを感じる心を取り戻していきます。

そして、育ての親に対する素直な感謝の気持ちも持つようになっていきました。

杏奈は見事に復活したのです。

最後の方にマーニーが許しを請う場面がありますが、
それに行きつくまでに、既に杏奈はすべてを許していたのだと思います。

そして、この経験は将来も活かされ、
これから訪れるであろう困難に対しても、
力ずよく生きていけるような気がします。


そう私は感じました。
大袈裟に言うと、マーニーは杏奈を永遠に救ったのです。

マーニーが誰なのかを知った時、そこに深い愛があったことを感じました。
それは、私にとって久しぶりの感動でした。

誰が見ても良い映画だと思いますが、
私の場合、特に共感する部分があるような気がしました。

それは、私がこのブログを書いている理由の一つが、
マーニーの思いと似ているから、なのかもしれません。

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遠くから見ると花かなと思いましたが、近寄って見てみたら葉っぱでした。



テレビドラマ「ホテルコンシェルジュ」の最終回が先日放映されました。

舞台は、外資系ホテル「フォルモント」。
大手エステ企業の社長(泉ピン子)と広報担当(内山理名)の娘との親子関係がテーマでした。

泉ピン子さん演じるエステ会社社長は、人の気持ちより企業価値を優先する人で、
娘にも容赦なく厳しい言葉を浴びせる日々が続いていました。
そんなある日、ある事がキッカケで、とうとう娘にも我慢の限界がきてしまい、
社長である母親に会社を辞めることと母親としても嫌いであることを告げて去ってしまいます。

しかし、エステ社長が娘に厳しかったのは、自分の後を継いで、立派な社長になって欲しいためでもあったのです。
その親子の関係を修復するために、努力するホテルマン(ウーマン)達の姿が描かれていました。

いつもは、このホテルのサービス精神に注目しているのですが、今回は
社長が部下である娘にとった行動に着目したいと思います。

得てして、人の上に立つ人は、知らず知らずの内に、自分勝手になってしまうようです。
実は、私の以前の上司に似ています。

人の忠告を聞く耳を持つ人ならば良いのですが、自分に自信がありすぎると、
正しいことも間違っていることもすべてをごり押ししてしまいがちです。

そんなやり方をしていても、上に立つ人はまったく気がつかなくなるようです。

一見、仕事としては上手くいっているように見えても、人間関係が崩壊しているので、
最終的には破たんしてしまいがちです。
今回のドラマはそうなりました。私が以前いた職場もそうなりました。

私が人の上に立つ時に注意しなければならないと思っている事があります。
それは、常に相手を見るということです。


自分が言った事を相手がどう受け止めたのかを感じることを忘れると、
次には繋がらないのではないでしょうか。

仕事だから。
私は上司だから。
私は指導しているのだから。
私は親だから。
だけでは、いずれ部下も子も離れていきます。

人は機械ではないので、最終的には理屈ではなく感情が勝ってしまうように思います。

それから、人の上に立つ人の陥りやすい過ちに、
信頼関係の過信があると思います。


親子だからわかってくれるはず。
あの時、面倒見てやったから何を言っても大丈夫。
などなど。

そういうわけで、私は、親の立場として子供と接する時、親としての威厳より、
少しぼーっとしたお父さんとして、子供達の反応を何気に見るようにしています。

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3つの花のバランスがいいですね。