塩がもつ浄化作用を使って、縁切りしたい相手との縁を切ることができる・望まないことを遠く追いやるという意味がる塩呪い(しおまじない)。

人間不信になってはじめたこと…。

 

塩呪いのやり方

『塩まじないをするときに必要なもの』
・天然の塩(神社で分けてもらえる神聖な塩だとなおよし)
・水で流せる素材の紙(トイレットペッパーがおすすめ)
・ボールペン
・灰皿(火をつけた紙を燃やすため)
・火をつけるもの(マッチやライター)

塩まじないは火を使用するおまじないですが、火をつけることに抵抗がある人は、火を使わずに、トイレに流しても効果があるそうです。

 

『紙に悩み事を書く』

願い事を書くのでなく悩み事を書きます。

例えば、「座布団ヒラメが釣れない」とか「上司から逃れたい」という風に、相手を呪うのではなく、「自分の悩みを書く」というのが重要です。

効果は…なぜか、座布団は左のアングラーが釣りあげる…ちょっとずれてます(笑)

実際には、「上司から逃れたい」というのは、叶いましたね。

 

『塩を紙で包む』

悩み事を書いた紙の上に塩を一つまみのせて包みます。

 

『包んだ紙を燃やす』

灰皿や耐熱皿(耐熱容器)に包んだ紙を入れて火をつけて燃やします。

 

『最後に燃やした紙をトイレに流します』
もし紙を燃やすことが難しそうな場合は、悩み事を書いた紙をそのままトイレに流しても大丈夫です。

紙をトイレットペーパー以外にする場合は、十分に気を付けてください。

本来は、川に流すのですが、住宅事情で河川に流せない場合は、トイレにということになります。

河川や海のことを考えると、いくら灰とはいえ流すのはよろしくないかと思います。

 

『決して希望を書かない』

「お金持ちになりたい」とか「あの人と結婚したい」など希望を書くのは禁止です。

もちろん、「座布団が釣りたい」というのもNG!

「お金がない」とか「あの人に振り向いてもらえない」「座布団が釣れない」というように、悩み事を書くのがポイントです。

 

そんな塩呪いをする私ですが…実は無宗教なんです(笑)

特に、お寺の坊主は信用していません!

話に矛盾があるんですよね、今回も実体験してます。

 

奥様のお父さん(義父)の葬儀、坊主というよりも人間として疑うような、怒りさえもこみ上げたことがあります。

葬儀が終わってから、お経のお礼として「お布施」を渡すという、葬儀会社の説明もありましたが…お通夜の帰宅時に呼びつけられて、お布施を出すようにいわれました。(日蓮宗大広寺)

 

金額についても奥様が事前に聞いた時には、「80万~100万」といわれたそうです。

実際に全国の一般的(平均的)な金額を調べたところ、家族葬であれば10万~15万でした。

事前に、奥様がお寺に行って住職に「そんなに出せません」と話をしたそうですが…結局、義父と僧侶の関係なので50万円をお布施として渡しました。

 

それに、お墓に遺骨を埋葬するのに住職から「10万円」と金額を指定してきたとか…これってどう思います?

その地方や地域、宗教にもよるでしょうが、お布施の金額をわざわざいいますか?

 

お布施は読経などの労働対価としてではなく、ご本尊に捧げるものであり、寺院に寄付をするものですよね?
お布施により、寺院はその運営や法務(お寺の仕事全般)をすることができます。お布施は、間接的にご本尊や寺院を守るために使われているはずで、葬儀・葬式でのお布施とは、読経や戒名の対価という意味ではないはずです。

したがって、本来は読経料や戒名料という言葉は使わないですよね。

そんなことがあって、義父の菩提樹(お寺)の住職に対して、「たかり」「ゆすり」のように思ってます。

 

仏教では肉体は、確かに死んだら焼いて灰になって滅びてしまうのですが、私たちには、生まれる前、果てしない遠い過去から、死んだ後、永遠の未来に向かって、生まれ変わり死に変わり、生死を繰り返している永遠の生命がある、と仏教では教えられていて、その永遠の生命を「阿頼耶識(あらやしき)」といいます。

肉体が滅びても、滅びることなく続いていく、果てしない遠い過去から、永遠の未来に向かって流れて行く、私たちの永遠の生命を「阿頼耶識」というのです。

 

死んだ人にあの世で使う「戒名」というのを付けること自体、馬鹿らしいと思うのは私だけでしょうか?

この世の名前を「俗名」といっていますが、あの世で戒名の長い名前を使うのでしょうか、戒名を付けるのは仏教だけですよね。

生まれ変わるといいながら、地獄だの天国だの…地獄には閻魔大王がいて、鬼に血の池や針の山で責められるって、おかしな話だとおもいませんか、今の時代はSFといわれたものが現実になり、宇宙へと発想が変わっている時代ですよ!

 

人類の進化もそうです、猿から進化したといいますが、ある期間の空白が人類には存在するといいます。

人類を作ったのは神でしょうか?

アダムとイブがリンゴをかじって生まれたのでしょうか?

今では、異星人が地球に人類を誕生させたという説もあるくらいです。

 

死んだ後に、未練を残して…先祖を尊ぶためにお墓を立てる…それは、地球においても一部の習慣。

遺灰をいつまで後生大事に守り続けるのでしょうね?

 

私は、「散骨」を希望しています。

位牌もいらないし、お墓もいらない…土に返してくれればそれでいいと思ってます。

奥様には「遺書」でそのように書いといてといわれますが(笑)

「散骨の方法もちゃんと調べて書いておいてね」と念押しされているのはいうまでもありません。

 

サーフで薄明の景色を見ると、「人間って小さいな」って感じます。

サーフでキャストする時には、魚の命を頂くので必ず海に向かって一礼します。

食材として、自分の血や肉になります、生きるためのエネルギーになります。

たまたま、地球上で食物連鎖の最上位にいる人間はそんなに尊いものでしょうか?

ちっぽけな人間が、たかが数十年の生命を地球上で過ごしただけのような気もしますが…地位や名声を望むのはその人の自由でしょうけど。

 

ブログやInstagramに記録を残すのは、そんな人間がいたよって知ってほしいから、自分の軌跡を残したいからだと思うのですが…?

いずれ、生命も終わりを告げる、地球上の生命はいずれか絶えるのが今のところ決まっています。

人生100年なんて、日本の政府はいってますが、死にたくても延命治療などによって死ねない時代。

そもそも、どうやって100年も生きられるでしょう?

 

ちょっと、怒りに任せてここまで書きましたが…。

今日は、そんな延命をするために、仕事を休んで定期診療に墨東病院へ行ってきました。

心臓の健康を維持するため、趣味のサーフフィッシングを続けたい、フライフィッシングを続けたい、料理を作って「美味しい」といってもらいたいという我欲からの生きる希望、すなわち「悪あがき」であり「執着」ですかね。

 

今夜は、好きな肴で一杯やりたいという我欲で、旬の食材「秋刀魚」を仕入れてきました。

塩焼きにして大根おろしで…はらわたの苦みが良いんですよね!

 


ちょっと、例年と比べるとサイズが小さい気もしますが、美味しく頂きたいと思います。