晦日節(みそかぜち)という風習をご存知ですか?

 

「みそか」は、十日(とうか)、二十日(はつか)と読むように、三十日(みそか)と読み、古い表現です、「三十路(みそじ)」と読むのと同じです。

「三十日」に「晦日(音読で「かいじつ」)」という当て字は、満月の中旬以降、徐々に月が見えなくなっていくことにあり、「晦(つごもり)」は「月隠り(つきごもり)」が転じたもので、「月相(げっそう:月面のうち輝いて見える部分が変化する様子)」の意味とされます。

現在では、実際の日付にかかわらず月の最終日を指すので、一年には十二ヶ月があり、現在では、その年の最後である十二月の三十一日を「大晦日(おおみそか)」と呼びます。

晦日節(みそかぜち)は、中部地方(本州中部の、新潟・富山・石川・福井・長野・山梨・静岡・岐阜・愛知の9県が占める地方)などで、正月のみそか(正月最後の日:1月31日)に新しく餅(もち)をついて神に供え、「松の内(正月の松飾りのある期間、1月7日または1月15日までの期間)」に年始回りに行けなかった親類を訪問すること。
または、お蕎麦を食べて祝う日など、地方によってこれらの習慣が残っているところもあるそうです。

明日は社員食堂で「蕎麦」だな(笑)

月末に食べていたという「晦日蕎麦(みそかそば)」は、江戸時代に月末の晦日に「蕎麦(そば)」を食べる習慣があって、商売人が月末は集金や棚卸しで忙しいので、出前をとったことが由来しているとか…現在では、その習慣も十二月の大晦日に食べる「年越し蕎麦」になって残っています。 

毎月、月末は社員食堂で「蕎麦」だな(笑)

愛知県を中心に店舗展開している、「和食麺処サガミ」で、「晦日蕎麦」を提供しています。
山梨(自宅近く)にはだいぶ前に「味の民芸(竜王店)」がありましたが、無くなって…遠州や駿河の帰りに、静岡の三島玉川店と富士伝法店に立ち寄ったことがあります。

 

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サガミレストランツ株式会社公式サイト

 

昔は太陰太陽暦(月の満ち欠けや太陽の運行と閏月を加味した暦)を使い、二十四節気を用いて色々な行事を行ってきました。
月の満ち欠けは「朔望(さくぼう)」ともいわれ、太陽との位置関係で決まり、太陽と同じ方向にある場合を新月(朔)、反対方向にある場合を満月(望)、その間に上弦・下弦(半月)があります。

漁師や船乗り、釣り師にとってこの太陰太陽暦は「潮」と関係し、月の満ち欠けで「大潮・中潮・小潮・長潮・若潮」、月と太陽の位置による潮の干満を定義して「潮汐」をつくり、魚介類の生態を知ることで食料の確保、そして「旬」を知ってきました。

実際の満潮・干潮は、海水の慣性や、海流、水温や塩分濃度、気圧、湾岸の形状など種々の要因によって、天文学的に導かれる時刻とずれが生じるのですが、今でも使っていますよね。
「潮汐表」「潮汐カレンダー」「タイドグラフ」とか呼び方は色々ありますが…それをもとに釣行するのは間違いありませんね。

大物が釣れる確率を考慮した「大漁時刻表」なるものもあり、多くの方が利用しているのでは?

釣りに関していえば、更に海流や海水温、ベイト(餌)など色んな要素が必要です…毎年(毎シーズン)出される新作ルアーにロッドやリール…最近はついていけない、使いこなす腕も財布(中身)も足りない(涙)

そうそう、新しいロッドやリールを使って釣果があった時に「入魂」ていうけど…どういうこと?
「入魂(にゅうこん)」を辞書で調べると…
① 物事に精魂をかたむけること。
② 神仏や霊を呼び入れること。また、あるものに魂を入れること。
(出典:精選版日本国語大辞典)

釣果があってということは、釣り上げた魚の霊をロッド(リール)に呼び入れること?
それとも己の魂をいれること…魂は分けれるのか?
当たり前のように使っている言葉の意味を全く理解できていない、不思議に思っているのは「私がおかしいの?」

野球で「一球入魂(一球一球の球たまに全力を傾けること。精神を集中して、一球を投ずること。)」とは意味合いが違うと思うのですが…キャストするたびに全力を傾ける、精神を集中してルアーを投じるならば話は分かりますが…皆さんはどう思っているのだろう?

この疑問を解決してくださる方、メッセージお待ち申し上げます。m(_ _)m