今日のブログは長くなりそうな予感です(しょっぱなからあせる)。

 

このブログにも度々登場している娘は高3ですが、その娘が通っていた保育園のお話、です。

 

遡ること15年前、私たち家族はニューヨークから帰国してきました。子供は2人ともニューヨークで出産したので、日本の教育施設に「親」として触れるのは初めての経験でした。たまたま空きのある、家から近所の保育園があって、そこを見学に行きました。

結構、ショッキングな印象でした叫び叫び叫び

古~い擦り切れた畳とちゃぶ台。網戸のない窓。静かなスタッフの暗い雰囲気。

誤解のないように言っておきますと、ニューヨークの保育園しか知らなったので、なんだろう、壁は水色やピンクに楽しく塗ってあって、ピカピカの楽しそうなおもちゃに囲まれていて、ワクワクする空間に、キラッキラな笑顔で「子供と接することが我々の喜びなんです」…とか身振り手振りで饒舌に(時にはウソ臭く)語るアメリカ人にすっかり慣れてしまっていたのに対して、そこは建物が古く、昭和な生活感がバリバリで、更に私たちが訪ねた時は子供たちがお昼寝中だったこともあり、スタッフの方々は全員小声ダウンだったのが暗そうに思えたのです。

 

オウマイガ―ドクロコレが日本の保育園かぁドクロドクロ

 

…で、結局あいている近所の保育園がそこしかなかったので、泣く泣く(?!)その保育園に娘を入れました。

 

たまたま入園した翌月が娘の誕生月でした。

「誕生日にはお家の方が何か一品を子供たちに作っておやつの時間に参加してくださいね。小麦とか乳製品、卵、…は食べられない子がいるので、使わないでくださいね。あと、お砂糖もダメな子がいます」

 

ポーン……。なんだよ、それ?!

 

だってさ、仕事してるから預けているのが保育園なんだからさ、それでおやつの時間に参加してくださいって、ナニ?

しかも一品作るってナニ?結構高いお金払って預けてるんですケド…キョロキョロ

 

8年間ニューヨークに住んでいただけで、いつのまにかジャパンは、面倒くさい国になっていたのかなぁ?

それとも、私がすっかりニューヨーカーになっちゃっていて、こういうことを日本人は面倒だと思わずにみんなちゃんとやっているのか?

…よくわかりませんでしたが、友達もまだあまりいなかったから聞く人もいなくて、よくわからないから、やるしかないか、、、

と、結局、五目チラシを作って持っていきました。擦り切れた畳に座って、ちゃぶ台で、子供たちと一緒に五目チラシを食べて娘の誕生日を祝って頂きました。

 

でも、擦り切れた畳に座って子供たちと五目チラシを食べて何となく、気付いたことがありました。

なんか、みんな、親戚の家に集まってきたいとこ同士や親戚のまた親戚…みたいな感じなんだな…と。

アメリカの保育園は、どこまでも、あくまでも、みんな他人同士で。子供をお預かりしている人と、お金を払って預けている人、という関係や距離が崩れることがありません。

ふ~ん、なるほど。こういうのも悪くないのかもニコニコ

 

そしてほどなくして、今度は保育園のバザーがありました。

毎年恒例の、貧乏保育園の資金を稼ぐための大事な真剣勝負の行事らしく、スタッフだけでなくて、父母の力の入り方も半端なくて、

「週末はバザー準備をします。お手伝いに来てください~!」

「もちろん行きます。何時からですか?」

…と「当然」のような土日返上。地域の方から不用品(服、靴、バック、食器、おもちゃ、その他何でもにひひ)の寄付があって、それに値付けをします。車で寄付品を取りに行く係の人(車を持っていることが条件)、入り口に立って届く荷物を受け取る係の人、次々に届く荷物を種分けする人、種分けされたそれぞれのものに値段をつける人、そして値段がついて再び段ボール詰めされた品を、バザー当日まで保管しておく場所に運搬する人、も~うお父さん、お母さん、時にはおばあちゃんまで駆り出されて、みんなで朝から夕方まで、作業をしました。

土日が終わる頃には疲労困憊です叫び ホコリだらけの中でずっと作業をするので、鼻くそまで真っ黒ですにひひ

 

あ、話はバザーにそれますが、寄付って本当にありがたいのですが、いろいろな方がいます。

18金のネックレスなどのアクセサリーを寄付して下さる方もいらっしゃれば、中には千羽鶴や、シミのついた下着まで持ってくる方もいます。捨てるよりも罪悪感の少ない遺品整理のような感覚の方もいて、それが結果的に価値があって売ることができるものならいいのですが、目も通さず「全部持ってって」と大量の段ボール箱や紙袋を渡されて、中からネズミの糞やゴキブリが出てきたコトも、、、チーン

寄付は、ちゃんと「相手の顔」を思い浮かべてしないといけない、と思いました。

 

でもそうやってがんばった年のバザーの売り上げが100万円を越えたこともありました。

もちろん、バザー当日もお仕事が沢山です。バザー会場となる広場への荷物の運び入れから始まり、それを並べて売って、お客さんに声掛けをして、そして最終的には売れ残ったものは、処分をする物と、他のこれからバザーをやる施設に寄付するもの、来年のバザーまで残しておくもの…に分けてまた運び出します。

そしてすべてが終わったら、夜からは保育園で待機組だった方たちが作っておいてくれたごはんを親子みんなで食べます。

「あれが売れるとは思わなったな~!」とか、「今年はいくらの売り上げだ?」とか、「あの壺をずっと気難しい顔で見てた人は多分業者だったと思う」とか、狭~い保育園の擦り切れた畳にちゃぶ台を並べて、肩も背中も誰かしらとくっつきながら「超密」な状態で打ち上げをする頃には、親同士もちょっとした親戚みたいになってきたり、しますにひひ 自分の子じゃない子が、いつの間にか膝に座っていたり、自分の娘は他のお母さんに絵本を読んでもらってたりしていました。そう。本当にまるで親戚の集まりみたいですラブラブ

 

…と、そんな保育園で40年間、子供たちを見守り続けてくれたのが、保育園のお母さん的存在のHさんでした。

そんなHさんが、先週、退職されました。

 

 

 

 

…あぁ、長すぎるっあせるあせる

ごめんなさい。今日はここまで。

続きは明日、アップしますビックリマーク

 

気になるでしょ?この「つながり」がどう、何に、つながっていくのか?

ぜひ、明日も読んでね。明日が完結編です。

 

(ボヤっとさせていますが、その保育園の子供たちのハロウィンの写真です)