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これ、2013年7月11日。。。もう2年半くらい前に書いた記事です。
基本的に今もこの考えは変わっていません。
「辞めたかったら、勝手に辞めたらいいだけのこと」
なんて、こともなげにおっしゃる擁護派の方々もいらっしゃいますが。。。
そうは言っても、辞めたら家族関係にひびが入るかも。。。と思えば躊躇してしまうのも仕方ないかと思いますよ。
オトナだろうがなんだろうが、身近な人間関係がぎくしゃくするのはイヤなものです。
家族関係だけじゃありません。
友人関係や、場合によっては、仕事関係にも大きな影響があるのですから。。。
「それが嫌なら続ければいい」
?
いやいや。。。
そもそも、冷静に考えてみたら
「神との個人的な関係」
とやらに、なんで身近な人間関係を人質に取られる必要があるのでしょうか(・・?
その時点で。。。変!
間違いなく、変!
現に辞めたくてもなかなか辞められないでいる方々もいらっしゃいますからね。
人によって、環境も条件も違います。
その中で、少しでも自分にとって納得のいく落としどころをいろいろと模索するしかないのだと思います。
あ。
タイトルの『害』
いくら信教の自由といっても、ご本人だけじゃなく周囲の方々にとってもそれが『害』になる場合も多々あるようですし。
それに。
どちらにしたって、気がつきたくない人は、相手にも自分にもいろんな言い訳をして気がつこうともしませんから。
口出しされたと騒ぎ立てるほどのことでもないのではないかと。。。(^_-)-☆
何か思い当たることがあるからこそ、気がつく人は気づくのだと思います。
そして。。。
いつも言いますが。。。
自分が気づきたくないからって、そうやって、気がついたからそ~~っと離れようとしている方々を引き留めて『巻き添え』にすることだけはしないでくださいな☆