前記事「神に愛されたい」 でいただいたコメントを読んでいて気がつきました。
「神」を「親」にたとえることってよくありますよね。
WTが言う「神」
この「神」の言っていることを「親」が言っているとしたら。。。?
いかに歪んでいるかがよくわかるかと思います。
WTが言う「神」=「エホバ」。
「エホバ」は組織を通じてこう言います。
「私の名を尊び、その証人となるためにもっともいいのは『開拓奉仕』という生き方だ。」
「そのためには、出来得るだけの人生のすべてを賭けよ。」
「必要とあらば、独身のまま、海外の未開発地域に(自費で)行って、簡素な生活を耐え忍びながら暮らせ。」
そう。
この「エホバ」は人生のすべてを「エホバ」のために費やせ、と指示しています。
これを「親」で考えてみましょう。
「親のために人生のすべてを費やせ。」
「自分で判断できるなど考えてはならない。
すべて親の言う通りの人生を過ごしなさい。」
そういう親のことをなんというか、もちろん皆さまはご存知ですよね☆
「毒親」
子どものことを大切に思い、愛している親ならば。。。
わが子を「親のためだけ」に縛りたいでしょうか?
わが子が自分のやりたいことを楽しんでしている姿を見ることの方をずっとずっと願いませんか?
何よりも。。。
わが子の幸せを願う。。。
でも、「毒親」は違います。
わが子を、別個の人格を持った存在だとは認めたくありません。
ともすれば、わが子の人生に入り込み、自分の思い通りにしようとします。
自分のために、わが子の人生を犠牲にしようとします。
ある時は「恐怖」で。
ある時は、「親への愛」をちらつかせて、わが子の「罪悪感」を煽って。
また、ある時は。。。
いかにも
「あなたのためなのよ。」
と、「愛情」と「正義」に見せかけた「押し付け」で。
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ここに書かれた「親」の姿。
どこかの宗教組織で、語られ、騙られている「神」の姿と被りませんか?
そして、その宗教組織で学んだ知識こそ「真理」だと、わが子の人生を操作しようとしている「親」の姿と似ていませんか?
ぜひとも、比較してみてください。
そして、ぜひとも冷静に考えてみてください。
そしてさらに。。。
「親」の立場にいる方へ。
せめて、本当にわが子を愛しているのならば。。。
「愛情」という言葉を利用して、子どもの人生を乗っ取らないでください。
自分のために、子どもを犠牲にしないでください。
子どものほうこそ、無条件に親を慕っています。
どうか、その「子どもからの愛情」に気づいてください。
親がわが子にしてあげるべきことは。。。
「親である自分がいなくなっても、わが子が自分の足でしっかりと自立して生きていける力を育てる」
ことじゃありませんか?
わが子に依存し続け、わが子を食い物にして。。。
「いい子じゃないと愛せない」
そんな「JWの神」みたいな生き方は、間違いなくわが子を不幸にしますから。