続きです。
ものみの塔聖書冊子協会については、創始者のラッセルの時代から、
「宗教団体」
としてだけではなく、そこはかとなく
「企業団体」
としての意識があったんじゃないかと思う部分もあります。
出版物による教化というものも、当時の宗教団体の基本的なやり方だったのでしょうが。。。
それがさらに強まったのは、やはり2代目ラザフォードの時代でしょうか。
信者たちに対しては
「唯一・真の神の組織」
としての意識を植え付けつつ。。。
自らは、ベト・サリムという豪華な別荘で暮らすという本音と建前の乖離がすでに始まっていたのではないかと思います。
現在のWTが株式や投資によって利益を得ているのも、営利企業である一出版企業としては当然頷けるものです。
組織自体はそうやって
「神の業を行うため」
に利益を得ることは良しとしているのに、信者たちにはそのような利益の追求は罪悪だとして認めていないことには大きな矛盾を感じました。。。
また、信者たちにはそのような組織が実際に行っている営利活動は知らされてはいません。
同じく、組織の中で起きてしまった犯罪も知らされてはいません。
他の宗教組織が同じようなことをしていたら、
「偽りの宗教団体はやっぱりこのようなことをしている!」
と、大仰に騒ぎ立てるのに、自らの不始末については知らんぷり。
なんて不誠実な団体だろう。。。
WT組織に対する疑問はどんどん大きくなるばかりでした。
と、同時に。
このような組織の実態を知ったら、信じ切って人生をささげて活動している信者の方々はどんなに傷つくだろうか。。。
1975年の嘘予言に代表されるような、偽りを他人に伝えて回っていたことに気づいたら、どんなに自責の念に囚われてしまうことだろうか。。。
そのことを考えると、胸が締め付けられるように苦しくなりました。。。
その中には、私の大切なあの人も含まれるだろうから。。。。
ここで、1つ言っておきたいことがあります。
このような
「自責の念に囚われるかもしれない」
と私が感じたことと
「自責の念に囚われるべきだ」
という押し付けとは、まったく別物だということです。
これを混同して、
「自責の念・懺悔を感じたのではないか」
という疑問を
「自責の念・懺悔を感じろ」
と押し付けているととらえる方もいらっしゃるかもしれませんが。。。
根本的にそれは違うということはご理解いただけたらありがたく思います。
さらに続きます。。。