「エホバの証人の『避け』について」シリーズ。
ほぼ1ヶ月間くらいかけて取り組んだのですが。。。
その時に「エホバのご意志を行なうための組織」という小書籍を読み、参照聖句について検証をしてきました。
それぞれの文章に、いかにももっともらしく、根拠として参照聖句が挙げられているものの。。。
実際に文脈から読んでみると、WTの教義に合わせたいばかりのいい加減なつぎはぎぶりも改めて実感しました。
そして、何よりも。。。
WT協会が主張する
「教義を守っている『義』の自分たち」
だから、
「教義を守れない『不義』の人たち」
を
「避けるのは当然」
だという、その
「論理」
の、あまりのおぞましさにもう腹が立って、腹が立って。。。(^_^;)
いやいや。。。
もう、正直言って、吐き気がするくらい、この
「論理」
が嫌いで、イヤで、たまらない気持ちになっております。。。
こう言うと、
「『避け』るのは、本当は相手のためを思ってのことだ。
これも必要な『愛の懲らしめ』の1つなのだから。」
などと、協会の受け売りのご意見もあるかもしれません。
「本心では辛いけれど、仕方ないことなのだから。。。」
まったく、とんでもないです。
「『避け』ることで『愛を示す』」
そんなことは、あり得ないです。
そんなことは、結局、
「『避け』ること」
で感じる
「良心の疼き」
を、ごまかし、正当化するために、協会が作り上げた言い訳に乗せられているだけです。
人が人を『避け』ていい正当な理由なんて、どこにもありません。
心底、『避け』の教義は、醜いと思いました。
こんな教義に乗せられて、排斥・断絶者を『避け』ているJW信者の方々。。。
『避け』ることで、『自分たちの義』を守ろうとしているその姿こそ、傍から見れば、醜く、みっともないものになっていることに気づきませんか?
『自分たちの義』を守るために、誰かを切り捨てるその姿を思うと、悲しくて、情けなくて。。。
心の底から、たまらない気持ちになります。
。。。というわけで、只今、あの「避け」シリーズの記事の後遺症で、腹が立ちすぎて、すっかりWT協会の文章および論理にアレルギーが出ているりんごでした。。。(^^ゞ