エホバの証人の「避け」について ⑯ | ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

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エホバの証人の「避け」について ⑮

からまだまだ続いてます~♪


エホバの証人の「避け」について ②

で引用した「神の愛」の中の

「排斥された人にどう対応すべきか」

には、はっきりと

「わたしたちは,排斥された人とは霊的な交わりも親睦の交わりも持ちません。」

と書かれています。


と、同時に

排斥されても家族の結びつきは断たれないので,家族としての日々の通常の活動や関係は続いてゆくでしょう。

しかしその人は,信者である家族との霊的な絆を自らの歩みによって断ち切りました。

ですから,家族の忠節な成員はもはやその人と霊的な交わりを持つことができません。例えば,家族が一緒に聖書を研究する時,排斥された人はその場にいてもそれに加わりません。」

排斥されたのが未成年の子どもであるなら,親は依然としてその子を教え諭したり懲らしめたりする責任を負っています。

それゆえ,愛のある親は,その子との聖書研究を取り決めて司会するでしょう。」

とも書かれており、排斥された対象者が同居家族である場合や、さらには同居の未成年の家族である場合には特例があるかのように書かれています。


また、反対に排斥者が家族であっても同居していない場合は

「家族としての必要な事柄を顧みるために限られた範囲で接しなければならないことがまれにあるとしても,そうした接触は最小限にとどめるべきです。
忠節なクリスチャンである家族の成員は,同居していない排斥された親族とかかわりを持つ口実を探そうとはしません。

むしろ,エホバとその組織に対する忠節のゆえに,排斥という聖書的な取り決めを擁護します。」

と、親族以外の扱いに準ずる、つまり

排斥された人とは霊的な交わりも親睦の交わりも持ちません。」

だと考えた方がいいようです。


さて。。。

でも、実際にはどうなのでしょうか?


エホバの証人の「避け」について 番外編

に引用した3月11日の「日々の聖句」を読むと、

エホバは,どんな排斥者とも接触を持ってはならないという命令にわたしたちが従うかどうか,注意深く見ておられます。

と書かれているのですから。。。

これでは他の排斥者に対するように、同居家族や未成年の家族に対しても、必要以上に冷たく当たったりまるで「避け」ているかのような態度を取らなければならない、と思い込まされているJWたちも多くいるのではないでしょうか。。。


そして、そのような判断をしてしまって同居家族に対しても「避け」を行なっている信者たちの理解は間違ったものだと言えるのでしょうか?


それよりもなによりも。。。

そもそも、本当に

「避けること」

は、

「聖書的行動」

だと言えるのでしょうか?


そのことについては、またもや次に続きます~☆