延々と資料を中心にUPしてまいりました(^_^;)
そこから私なりに見えてきたものを書いていこうと思います。
まず。。。
なぜ、エホバの証人は『避け』を行なうのか?
エホバの証人の「避け」について ② にその理由がはっきりと書かれている部分がありました。
まず第一の理由として
「第一に,神とみ言葉に対する忠節がかかっています。
わたしたちは,都合の良いときだけでなく,相当な努力を要するときもエホバに従います。
神への愛に動かされて,神のおきてすべてに従います。
神が公正で愛のある方であり,神の律法は最善の益を生む,ということをわきまえているからです。
(イザヤ 48:17。 ヨハネ第一 5:3 )」
そして第二の理由は
「第二に,悔い改めない悪行者から離れているなら,自分と会衆の他の成員を霊的また道徳的な汚染から保護し,会衆の良い評判を守ることができます。
(コリント第一 5:6,7 )」
それから第三の理由として
「第三に,聖書の原則を固守するなら,排斥された人にも益が及ぶことがあります。
わたしたちが審理委員会の決定を支持するなら,それまで長老たちの援助にこたえ応じていなかった悪行者も心を動かされるかもしれません。
愛する人たちとの貴重な交友関係を失うことによって『本心に立ち返り』,自分の悪の重大さを悟り,エホバのもとに戻るための段階を踏むかもしれないのです。
―ルカ 15:17 。」
この順番は、そのまま優先順位と考えてよいと思います。
つまり、まずは
「自分自身の信仰を守るため」
ですよね。
「神とみ言葉に対する忠節がかかっている」
のですから。。。
この
「神とみ言葉への忠節」
というのは、もちろん
「エホバと聖書への忠節」
と、同義だと考えられます。
エホバの証人では
「神=エホバ≠イエス・キリスト」
ですから、
「旧約で描かれている神の姿」
がベースと
なっているために、愛の神の姿とともに、厳しい公正の神、激しい嫉妬の神の姿のイメージも強くあることと思います。
ただ、問題はこの
「神とみ言葉への忠節」
に追加して
「協会で語られる言葉(出版物・講演等)も同様に『神の経路』としての言葉」
と受け止めて、そこにも同様の
「忠節」
も求められていることではないでしょうか。
「エホバに従う」
方法として、
「エホバの選んだ組織に従う」
ことが常に求められていると思います。
これは、1985年以降のバプテスマを受けるときの2番目の言葉を考えても否定できないことですよね。
「エホバの選んだ組織」
だと信じているからこそ、
「エホバの証人」
として活動しているのですから。
この第一の理由に書かれた
「神のおきて」
「神の律法」
を理解するために、
「(エホバの選んだ組織である)ものみの塔聖書冊子協会の指示」
に従っていることは事実でしょう。
だから
「神の律法は最善の益を生む」
そう信じて、どんなに辛くとも協会からの指示に従うことこそが最善だと考えて行動している、ということ。
それが第一の理由から読み取れるエホバの証人が協会の指示通りに「避け」を行なう1つの理由だと思われます。
何を当たり前のことをいまさら。。。
と思われそうですが、
「エホバの証人にとっての協会からの指示がどのような位置づけであるか」
ということは、常に念頭に置いておく必要があるかと思います。
長くなりましたので、続きはまた今度☆