児童性虐待裁判のことが明らかになると、擁護現役信者の方々は口を揃えてこう言います。
「そんなの、その犯罪者個人の問題でしょ。」
「組織の方々はきちんとやっているのに、組織に責任があるわけないわ。
言いがかりよ。」
「自称被害者が嘘をついて組織を陥れようとしているのよ。」
「ちゃんと最終的には犯人は排斥になっているのだから、組織はきちんとやることはやっているわよ。」
「JWみたいに愛に溢れた人たちはいないわ。
そんな一部の人たちのことを大袈裟に言わないで。」
「それを言うなら、他の宗教はもっと酷いわ。」
そして。。。
「こんなに素晴らしい組織の一員になれて幸せ。
エホバに感謝します。」
「私達は背教者の戯言に惑わされないように、ただエホバを見て組織に従いましょう。
何かあればエホバが正してくれるから。」
「批判ばかりしている人たちは低レベルだから、相手にせずにもっと高尚な話をしましょう。」
。。。だいたいどこを見ても、こんな反応です。
ところで。
近年、カトリックでも同様の児童性虐待裁判が起きています。
そんな時。。。
擁護現役信者の皆さん。
あなた方はどういう反応をしていますか?
「やっぱり偽りの宗教ね。
腐っているわ。」
「カトリックそのものに問題があるのよ。
一部の信者の問題では片付けられないわ。」
「なんて酷い宗教でしょう。」
「私たちの組織は清くてよかったわ。」
「おおいなるバビロンだから、滅ぼされてしまえばいいのに。」
と、まぁ、こんな反応をしていませんか?
不思議ですね。
自分たちの組織のことだと必死に擁護するのに、他の組織のことだとこき下ろす。
起きていることは同じことなのに。
カトリックの方は法王が責任を認め、今後の改善を目指すと公式に語りました。
一方、JWの方は一切の監督責任は認めずに、謝罪どころか控訴をしました。
どちらに誠意を感じるか。。。
「世のものではない」
あなたたちには、それさえも感じないのでしょうかね。