(『レ・ミゼラブル』関連が多くてすみません。とってもとっても好きなんです!)
●【ネタバレあり】
映画『レ・ミゼラブル』で残念なのが、アンジョルラス、、、、は置いときましてw
ファンテーヌがバルジャンのもとに現れる場面。
そこにコゼットたちが駆けこんでくるのですが、舞台版では、彼女が一瞬、コゼットに視線をやるのですよ。慈愛のこもった目で。
私のベストファンテーヌ=岩崎宏美も、聖母(マドンナ)の微笑みで。
それがあるからこそ、ファンテーヌがバルジャンに心から感謝してることが強調され、だから彼女が迎えに来て、、、に、グッとくるのですが。
映画ではファンテーヌはバルジャンしか見てませんでした。
ちなみにユーゴー(ユゴー)の原作を読み返してみたところ、
「おそらく彼の目には、そこに何者かの姿を見ていたのであろう。実際ミリエル司教が立ち会っていられたかも知れない」とあるんですね。
●原作では、バルジャンはマリウスに告白した後、同居は辞退するものの、一日一回、コゼットに面会にくることを乞います。
マリウスもそれを承知し、バルジャンはそれを唯一の楽しみに。
(でも、コゼットを「ポンメルシー夫人」と呼び、よそよそしく敬語を使うようになる)
ところが、バルジャンが徒刑囚であり脱走者であることを聞いたマリウスは、バルジャンを凶悪だと思い、恐れるようになります。
彼が大金を持ってるのはマドレーヌ市長から盗んだからで、警官ジャベールも彼が殺したと。
あの晩彼が砦に来たのも、はなからジャベールへの復讐が目的だったと。
ここからマリウスのいやがらせが始まるのです。
コゼットから凶悪な人間を遠ざけようという彼なりの愛情だったのですが、けっこう陰湿。
コゼットに会うために来たバルジャンが待つ場所を、屋敷でいちばんボロな部屋にし、次に暖炉に火を入れないようになり、遂には椅子も無くし…。
コゼットはコゼットで、結婚でお花畑脳になってて、次第に父のことを気にとめなくなって…。
バルジャンは、そういう2人の心中を察し、泣く泣く自ら距離をとるようになる。
愛が深かっただけに、失った時の失意も大きい。
この辺り、読むのが辛いです。だからこそ、ラストが感動なのですが。
●『レ・ミゼラブル』は愛の物語だと思います。
マリウスがバルジャンを遠ざけたのは、コゼットのためを思ってだし、コゼットが父を気にとめなくなるのは、愛するマリウスとの新生活に夢中だから。
多くの人の犠牲を経て、愛を手に入れた若い人。
だからこそ、その愛を大事に育もうとするのだけど、
愛が深い分、他は見えず、陰でバルジャンがどんなに寂しい思いをしてるのかは、彼女には見えなくなる。
一方のバルジャンは、それまでの10年、コゼットに愛情を注ぐことで、生の喜びを感じてるのだけど、
コゼットがマリウスという新たな「愛をわかちあう対象」を見つけたことで、彼女のために身をひくことにする。(そこがエポニーヌに重なる)
だけど、それまでの愛が深いので、なかなか思いを断てない。
会うたびに、コゼットの心が(悪気は無いが)自分から離れていくことをひしひしと感じ、寂しさは増していく。
愛していればこそ、失うのは辛い。でも、それが彼女のためだと(そして神が自分に課したことだと)思いきる。
●神は人々に大きな愛情を注ぎ、試練も与える。
愛や信念を自らの芯に持つ人間は強くなれるが、神は時に奪ってみせる。
人はその時、どう行動するのか?
バルジャン、ファンテーヌ、コゼット、マリウス、エポニーヌ、ジャベール…。報われるのは誰?
と、以上、私見です。
●さて、それではそろそろ、これもまた「人知れず一方的な愛を持ち続けて、それが報われるか?」という劇である『シラノ』に行ってきます。