明日からF1日本グランプリが開幕です。
場所は三重県鈴鹿。鈴鹿サーキット。
本戦は日曜日ですが、
明日はフリー走行でしたっけ?
(最近のルールがいまいち分かってない)。
昔は金曜日、土曜日と予選を行っていたものです。
初めて鈴鹿に行ったのは・・・
それは悲しいあの年。
1994年11月6日。
雨だった。
あ・・・この先長いですよ。
初めてのF1観戦ってことで・・・
当時高校2年生やった俺には安い席。
一緒に行ったのはなーんと中学の時の理科の先生(笑)。
やたら中学の時にF1の話が分かる先生で、
当時むちゃくちゃF1好きやったから、
むっちゃ話して・・・
連れて行って下さいよーって俺からお願いして。。。
卒業したし・・・ってことで連れて行ってもらうことになってました。
その先生は、その年初めて開かれた
4月17日の岡山県T1サーキット英田にも行ってました。
俺も行きたかったけど・・・
部活もあるから休める訳もなくこの時は断念。
当時、むちゃくちゃ好きやったF1ドライバーに会いたかった。
生で見たかった。
その楽しみをそのF1ドライバーの彼も愛した、
11月においておくことにした。
その2週間後の1994年5月1日日曜日
サンマリノ、イモラの地でその彼は・・・
音速の彼方に逝った。
大好きだったF1のレース中に
当時最強だった念願のウィリアムズのマシーンで・・・。
音速の貴公子
アイルトン・セナ。
享年34歳。
皮肉にも・・・その2年前
ウィリアムズ無敵時代を迎えようとしていた1992年
サンマリノグランプリで、マクラーレンに乗っていた彼は、
ウィリアムズの1・2フィニッシュ(1位、2位)を許したものの、
なんとか3位。チェッカーを受けた(ゴール)後、
すぐにマシンを止めた。
脱水症状を起こしていた。
俺が初めて見たF1は1992年のサンマリノ(セナ優勝)だったなー。
初めて訪れた鈴鹿に、
アイルトン・セナの姿は無かった。
降り続く雨は、まるで鈴鹿で彼に会えることを
楽しみにしていた日本のファンの悲しみの雨かのように・・・。
この年はセナが当時最強と言われたウィリアムズルノーのシートを手に入れた年。
1990年までの最強マシーンはマクラーレン・ホンダ。
1991年5戦目頃からウィリアムズルノーが強さを見せ始めたものの・・・
セナが開幕4連勝を飾ったことが幸いし、辛うじて年間チャンピオンはアイルトン・セナ。
翌1992年は完全にウィリアムズルノー。無冠の帝王と言われたナイジェル・マンセルが年間
チャンピオン。
マンセルがこの年で引退し、翌年はセナがウィリアムズに移籍かと思ったら・・・
マンセル優勝年にF1から去っていたセナのライバルアラン・プロストがウィリアムズ・ルノーの席を
獲得し1992年にF1復帰。
完全にセナはウィリアムズに実らぬ片思い。
プロストも優勝してF1から引退。
ついに・・・
ついに1994年、
片思いし続けたウィリアムズルノーの席を獲得したセナ。
絶対有利かと思われていたセナなの・・・。
開幕からベネトン・フォードのミハエル・シューマッハに2連勝を許して迎えた3戦目が
サンマリノだった。
先生から4月の岡山のグランプリのお土産としてもらったものは・・・
アイルトンセナのドライビングシーンを絵にしたものがプリントされた
Tシャツだった(実家に眠ってます)。
そんなセナが愛したサーキット、鈴鹿。
モナコと同じぐらいか、それ以上か・・・。
その鈴鹿にF1がやってきます。
(長い前置きでしたが)。
見には行けませんが・・・
1994年に行って以来・・・
何度か行ったなー。
3回ぐらいかな。
初めて行った時は、イヤープラグ(耳栓)なし。
あんまり良い席でも無かったけど、
1週間ぐらい、音が耳から離れないぐらい大音量でしたなー。
2回目ぐらいからはメインスタンド端っこの方。
スピードがトップスピードから落とし始める間の場所だったので、
迫力満点だった。
ピットからマシーンが出てくるのも楽しめたしなー。
また行きたいなー。
そんな日曜日は・・・
フットサル&妹分のような歳の子たちと飲み会。
彼女たちが学生時代に会ったのが最後だから・・・
ほんま久々。
場所は三重県鈴鹿。鈴鹿サーキット。
本戦は日曜日ですが、
明日はフリー走行でしたっけ?
(最近のルールがいまいち分かってない)。
昔は金曜日、土曜日と予選を行っていたものです。
初めて鈴鹿に行ったのは・・・
それは悲しいあの年。
1994年11月6日。
雨だった。
あ・・・この先長いですよ。
初めてのF1観戦ってことで・・・
当時高校2年生やった俺には安い席。
一緒に行ったのはなーんと中学の時の理科の先生(笑)。
やたら中学の時にF1の話が分かる先生で、
当時むちゃくちゃF1好きやったから、
むっちゃ話して・・・
連れて行って下さいよーって俺からお願いして。。。
卒業したし・・・ってことで連れて行ってもらうことになってました。
その先生は、その年初めて開かれた
4月17日の岡山県T1サーキット英田にも行ってました。
俺も行きたかったけど・・・
部活もあるから休める訳もなくこの時は断念。
当時、むちゃくちゃ好きやったF1ドライバーに会いたかった。
生で見たかった。
その楽しみをそのF1ドライバーの彼も愛した、
11月においておくことにした。
その2週間後の1994年5月1日日曜日
サンマリノ、イモラの地でその彼は・・・
音速の彼方に逝った。
大好きだったF1のレース中に
当時最強だった念願のウィリアムズのマシーンで・・・。
音速の貴公子
アイルトン・セナ。
享年34歳。
皮肉にも・・・その2年前
ウィリアムズ無敵時代を迎えようとしていた1992年
サンマリノグランプリで、マクラーレンに乗っていた彼は、
ウィリアムズの1・2フィニッシュ(1位、2位)を許したものの、
なんとか3位。チェッカーを受けた(ゴール)後、
すぐにマシンを止めた。
脱水症状を起こしていた。
俺が初めて見たF1は1992年のサンマリノ(セナ優勝)だったなー。
初めて訪れた鈴鹿に、
アイルトン・セナの姿は無かった。
降り続く雨は、まるで鈴鹿で彼に会えることを
楽しみにしていた日本のファンの悲しみの雨かのように・・・。
この年はセナが当時最強と言われたウィリアムズルノーのシートを手に入れた年。
1990年までの最強マシーンはマクラーレン・ホンダ。
1991年5戦目頃からウィリアムズルノーが強さを見せ始めたものの・・・
セナが開幕4連勝を飾ったことが幸いし、辛うじて年間チャンピオンはアイルトン・セナ。
翌1992年は完全にウィリアムズルノー。無冠の帝王と言われたナイジェル・マンセルが年間
チャンピオン。
マンセルがこの年で引退し、翌年はセナがウィリアムズに移籍かと思ったら・・・
マンセル優勝年にF1から去っていたセナのライバルアラン・プロストがウィリアムズ・ルノーの席を
獲得し1992年にF1復帰。
完全にセナはウィリアムズに実らぬ片思い。
プロストも優勝してF1から引退。
ついに・・・
ついに1994年、
片思いし続けたウィリアムズルノーの席を獲得したセナ。
絶対有利かと思われていたセナなの・・・。
開幕からベネトン・フォードのミハエル・シューマッハに2連勝を許して迎えた3戦目が
サンマリノだった。
先生から4月の岡山のグランプリのお土産としてもらったものは・・・
アイルトンセナのドライビングシーンを絵にしたものがプリントされた
Tシャツだった(実家に眠ってます)。
そんなセナが愛したサーキット、鈴鹿。
モナコと同じぐらいか、それ以上か・・・。
その鈴鹿にF1がやってきます。
(長い前置きでしたが)。
見には行けませんが・・・
1994年に行って以来・・・
何度か行ったなー。
3回ぐらいかな。
初めて行った時は、イヤープラグ(耳栓)なし。
あんまり良い席でも無かったけど、
1週間ぐらい、音が耳から離れないぐらい大音量でしたなー。
2回目ぐらいからはメインスタンド端っこの方。
スピードがトップスピードから落とし始める間の場所だったので、
迫力満点だった。
ピットからマシーンが出てくるのも楽しめたしなー。
また行きたいなー。
そんな日曜日は・・・
フットサル&妹分のような歳の子たちと飲み会。
彼女たちが学生時代に会ったのが最後だから・・・
ほんま久々。
