”背負ってるものが違い過ぎる” | 次世代の若者達よ、世界を変えてやれ

次世代の若者達よ、世界を変えてやれ

稲若健志オフィシャルブログ

今回アルゼンチンに行って個別に話をした中で、






”背負ってるものが違い過ぎる”という言葉を多々聞きました。





本当に俺たちサッカーしてていいんですかね?って。




アルゼンチンという国はよく給料が遅れます。





そうすると家族はたちまち火の車。




選手によっては練習に行くバス代さえ払えなくて練習に行けない選手もいるんです。





そうすると周りの家からお前はみんなの期待だから練習に行きなさいと、なけなしのお金を渡され練習に通う。




そんな選手達なんで練習も本当に一生懸命。





若い子たちは、世界共通で集中が切れることがありますが、1軍はもう全然違うんです。





そんな中に日本から来た選手が入ると全てに圧倒されるわけです。





練習ではもちろん熱くなって喧嘩はするし、ビブスは必ず1枚は破ける。





皆さんの家に屋根はありますよね?





でもアルゼンチンには屋根がない家もあるんです。
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ハングリー差では生まれ持った環境の時点で南米の選手に勝つことは不可能です。




僕の親もそうでしたが、プロを目指しアルゼンチンに行ってもし駄目ならどこかに就職するばいんじゃないの?




この言葉がアルゼンチンにはないんです。




就職なんか出来ないし、まして仕事だってない。





サッカー選手になる以外ないんです。





アルゼンチンでは信号待ちをしていると、小さな子供が裸足でお手玉を3つ持って回すんです。





4歳から5歳くらいでしょうか。





回し終わった後に車の窓に手を差し出しお金を下さいと頭を下げるんです。




子供達がそんなことをやりたいと思いますか?





やらないと今日の夜ご飯さえも食べられないからやってるんです。




そういうのを見ると本当にサッカーだけやってて良いの?と思うのは当然です。





日本人が言ってなんとかなる愚痴や不平、不満とアルゼンチン人が言いたくても言いたくてもどうしようもない愚痴や不平、不満は違います。





そういう環境を知ってるからこそ日本人に言い訳なんてないと思っています。





もし出来ないことがあるとしたらそれはやってないだけです。




もし考えてることがあって前に進めないのならそれは勇気がないだけです。





チャンスは一度だけ。





人生に明日の確証はなく、次は訪れない。





今この瞬間を頑張れない人に道を拓くことは出来ない。




明日は誰にでも訪れる。




それは明日になるまでわからないんですよ。