ご記憶であろうか。2009年8月から3年3か月、わが国は愚者の楽園だった。民主党政権が誕生したのだ。それから行われた政治上の愚行の数々はひとまず於くとして、われわれはウクライナ戦争によるさまざまな危機に遭遇している。その一つは電力の不足と言うことである。

もんじゅという高速増殖炉が設置され、筑波大学の福田学長が、これでわが国は電力で困ることは未来永劫ない、と言っておられた。それを2016年に廃炉としたのは痛恨の極みであった。その折、日本会議の櫻井氏にこのもんじゅの継続運転を支援して欲しいとメールで訴えたが、遺憾ながら表立った支援は得られなかったように思う。少なくとも、返事は来なかった。

さらに、福島の震災に端を発して、当時わが国の原発は全て害悪のレッテルを貼られ、次々停止に追い込まれた。いったいどのような問題が差し当たりあったと言うのだろうか。エキセントリックなこの原発阻止運動には嫌悪感を覚えたし、いったいどの程度の科学的な裏付けがあるのかと訝しく思った。

学生時代に吉本隆明氏が本の中で、原発を肯定的に捉えていることに共感を覚えた。氏は、概ね科学で作り出した施設であるなら、それを否定するのではなく、更なる科学でもって、その欠陥は克服すべきである、と言うようなことを言った。2009年以来、わが国はせっせと太陽光発電と風力発電に精を出して来たが、今日それが潤沢な電力を提供したと言う噂は一向に聞こえて来ない。昨日に至っては曇天だったので、電力供給が出来かねたという間抜けな理由だった。そんなことは予め想定されなかったのであろうか。

結局原発からエコ発電への転換は失敗だったと言うべきではないか。興味深いのは、このような電力供給の転換をわが国がのんびりやっている間に、支那を始めとして主だった国では原発施設を沢山作り、かつその技術の輸出に勤しんでいるように見える。この電力行政にはある種のイデオロギーが絡んでいたのではないかと怪しむ。

今日の電力不足は、ウクライナのせいでもなければ、寒さのせいでもない。人災なのだ。あの時の要路の人物はこのような失策について一切責任を負うことはない。本来政治とは命がけであるべきではないか。命まで取ろうと言わないが、せめて国民に対する謝罪があってしかるべきだろう。安部さんがプーチンとイチャイチャしていたなどと難じている向きも居るが、この問題はそんなレベルを超えていまいか。戦後まもなくでもあるまいし、今更電力不足とは!