この呪いめいた言葉を書きたくて、このエッセイを書き始めている。フランス語を習いたての頃、文法で出て来た単語の連なりである。由来は複数形にしたときに、"s" ではなく"x" で終わる単語ということで、全部でビジュカイュシュジュヌイビュジュジプと言う7語である。
フランス系ミッションスクールである中学に入学したての頃、フランス人の教師から教わった。その教師は初老の修道士だった。中学から入学した生徒だけ集められて、フランス語の初歩を教えられた。小学校からフランス語を学んでいる生徒に学力で追いつく必要があった。教室が足りなかったのか、われわれは図書館でフランス語の授業を受けた。それが逆に寺子屋のような雰囲気を醸し出していて、何とも言えない親近感のようなものが、教師も含めた出席者の頭上を満たしていた。あの折の図書室に漂う古い書物の湿った臭いと、薄暗い室内に窓から差しこむ日のコントラストが忘れられない。
妙な学校で、始業式、終業式などの式典で、国歌斉唱の後フランスの国歌も歌った。確か演壇にも、校旗とともに、日の丸の旗とトリコロールの旗が並べてあったように記憶している。そのような時には、時々フランス大使が来賓として来てくれて、祝辞を述べた。何を言っているのかチンプンカンプンだったが、特に通訳もおらず、はいその通りと言う感じで儀式は進んだ。もちろん優等生はフランス語をマスターしていたから、言っていることはほぼ分ったようである。バカな私は、在校中最初から最後まで全く分からなかった。
このフランス人教師のことは今でも折に触れて思い出す。この学校のOBの多くが記憶として語るフランス人教師は他にいく人かおられて、このかたがたも数々の伝説と共に意義深いものがある。しかしながら、個人的には最初にご紹介したこのフランス人教師を一番よく思い出す。良い人だった。遥々万里の波濤を乗り越えて、彼はその生涯を我々のようなバカな子供の教育に賭けてくれたわけである。
記憶違いかもしれないが、彼はアルザス・ロレーヌの出身だったと覚えている。だいたいこの地方は仏独国境に接しており、長い歴史の中で取ったり取られたりした場所である。
彼が教えてくれたフランス語のフレーズで、
「あなたは、ドイツ人ですか?」
「いいえ違います。私は日本人です。」
というのがあって、「いいえ」というときのフランス人教師の激しい峻拒の表情とともに思い出す。まあ、ドイツ人と日本人を間違えることはあまりないであろう。
社会に出て、会社に向かう電車の中で吊革に捉まりながら、ポカッとこのフレーズを思い出したことがある。この会話が持つ歴史的な意味というか、戦慄するようなその実際の恐怖に思い至った。
もちろん、この会話はこうであるべきなのだ。
「あなたは、ドイツ人ですか?」
「いいえ違います。私はフランス人です。」
この会話で、この人の運命は決まるのである。このように答えて助かる場合もあれば、助からなかった場合もあったろう。
「あなたは、ドイツ人ですか?」
「そうです。もちろん私はドイツ人です。」
と言うべきだったのかもしれない。
彼が、夕食後の憩いのひとときで、当時流行った「コンバット」と言うテレビドラマを好んで視ていたと言う伝説を聞いたことがある。これは、欧州戦線で活躍する米軍を活写した評判のドラマだった。私もこのドラマをよく視ていた。サンダース軍曹の活躍を覚えている。ドイツは当時同盟国だったことは歴史で習っていたし、個人的に本を読んで知っていたので、ドラマで描かれているドイツ軍の間抜けぶりを視て複雑な気持ちを抱いた。
彼は熱狂的な米軍のファンで、ずいぶん熱を入れてテレビを視ていたと言う噂が、ある種の笑い話しとして伝わっていた。その話しを聞いた時は、聖職者がとあざ笑う気も起きず、何とも言えない悲しいような、やるせない気持ちを抱いたことを思い出す。
記憶は別にこれだけという訳ではない。学園の卒業後も年賀状の遣り取りをしていたし、たまにはお目にかかりに伺うこともあった。が、どう考えても良い教え子ではなかったし、知己としても不行跡ばかりだった気がする。それでも彼は見捨てることがなかった。そのような温かい思い出に満たされているということが、今の私を支えている。