給食がまずかったなあとの述懐を良く耳にする。私自身は、サラリーマン時代からグルメなどと煽てられたりもしたが、自身は自分の舌についておおいなる疑惑を持っていた。実は、給食が美味しかったからだ。あまり不味いと思ったことがなかった。ミルクは当時脱脂粉乳だったが、それも美味しく頂いた。後年それが米国では家畜用の飼料だったと聞かされて絶句したが、嫌いだという人の分まで引き受けて飲んだりしていた。ということで、自分の舌についてはまったく自信がない。
給食の中で何が好きだったか、と言う話題も良く出る。揚げパン、もやしばかり入ったワンタンスープ、クジラの竜田揚げなどもあったなあ。キャベツのごまあえ、例のミルクをコーヒーミルクに仕立てた飲み物もあった。家人は、うどんが好きだったと言うが、われわれの世代では、うどんの記憶はない。むしろ、スパゲッティがあった気がする。
確かに、給食の中身は昭和35年近辺を境に尻上がりにクオリティがあがってきたように思う。わが国の復興が察しられる。そのころから、米食への転換が検討されている。むしろ、農林水産省の「昭和から令和まで、年代別にみる学校給食の変遷 - ふるさと給食自慢」によれば、明治から大正にかけては米食だったことが判る。
それにしても、なぜパン食だったのか。今では給食にご飯が出ているようであるが、当時はコッペパン、それから食パンだった。あの、パンは正直あまり美味いとは言えないしろものだった。それに、キャラメルのような風体のマーガリンが添えられていた。これは声を大にして言いたいが、わが国のパンは現在何と美味しいものとなったのか。様々なパンが売られているのも海外ではあまり見かけない光景ではないだろうか。そもそもあんぱんと言うものは、素晴らしい発明であったと思われる。
古い光景で思い出すことがある。給食費は紙の袋に入れて家庭から持ってきた。本当に月額数百円だったように思う。それでも払えない家庭があった。担任がその学友を隅に呼んで、給食費を先生が立て替えるというようなことを言っていた気がする。今思い返して、その家庭は本当に払えないのか、ただ単に支払いを拒否していただけなのか、今となっては分からない。ただ、そのような給食代を支払えないことで、その学友はやはり肩身の狭い思いをしたことであろう。