八王子の古書祭りで、先達て1冊の本を贖った。自分の財布にはちょいと高かったが。安藤鶴夫の「雪まろげ」(桃源社)で、箱入りの凝った作りだった。古書にはこういう楽しみがある。

その中にあった「勘九郎の頬ッペ」と言うエッセイは胸に染み入るような話しだった。それを元旦に読んだ。勘九郎は3歳にして、すでに才能を開花させていた。

高校に居た頃、勘九郎くんも同じ学園の中学に在学していたことは風の便りで聞いていた。校内ですれ違ったことがあるのかもしれないが、当時自分のこと以外かまける余裕がまるでなかったので、気が付かなかったまま卒業してしまった。当時世は騒然としていて、あちこちの高校でも学園紛争の嵐が吹きすさんでいた。

 それから色々あって社会人となり、平々凡々とサラリ-マン生活を送るようになった。その頃、勘九郎くんは目も眩むような美と芸の世界で活躍をするようになっていた。一般庶民には想像もつかない派手なエピソードを重ねていることを報道や雑誌の類で目にするようになった。

 定年間近くに、勃然と鍼灸師を志すようになり、低空飛行ながらどうやら過程を終えて、免許を手にした。その頃、同窓生から勘三郎(勘九郎)氏が不幸病を得たと噂で聞いた。居た堪れなくなり、及ばずながら脈をとってみたいものだと独り言ちたが、勿論何の伝手もなく、家人にも笑われる始末で叶うはずもなかった。暫くして、惜しい後輩を亡くしたことを報道で知った。