高校生の頃、詩人の丸山 薫に凝っていた。彼の詩が好きだった。
教科書に載っていた詩があった。何でも、荒野を疾走する電車がある。その線路の傍らで考え深げにかなたこなたを眺めているカラスがいる。これが人生なのだ、と詩人は主張する。これには参った。
人生は、疾走する人生を送るか、かなたこなたを眺めながら、この世そのものを歴史ごと味わいながら、線路の傍らに佇む人生がある、と。どう見ても後者の方が楽そうじゃないか。で、どうしたかと言えば、結局時代を疾走する人生を選ぶことになってじまった。毎日飽きることなく、疾走する電車にしがみ付き会社に通った。車内は、プレスされたごみの塊のように、通勤客が絡まって詰め込まれていた。どうしてそうなったか、色々考えてみたが、どうしても思い浮かばない。後ろから押されるようにして、いやいやそのようになってしまった。
時代を疾走するとは、当時映画監督であった西村潔の言葉だった。ウィキペディアによれば、東京都立立川高等学校の出身で、在日米軍の横田飛行場でアルバイトをしながら映画浸りの日々を送った後、一橋大学へ入学した。同級生には石原慎太郎がいた、とある。この一回り以上上の人物は、当時、つまり我々のの青春時代には、ちょっと流行った映画を手掛けていた。同じ多摩の出身で、短髪に革ジャンを纏ったこの人物に仄かな憧れを覚えていた。が、考えてみれば彼は昭和一桁世代で、少年時代は戦争の只中にあり、本当のところ精神構造はだいぶ我々とは違っていたのかもしれない。
彼がたまたま受験雑誌に寄稿したエッセイにこれまた参ったのだ。時代を疾走する者には、誰にでも黄金の一瞬がある、と彼は書いていた。例えば、と彼は言葉を継いだ。空襲で防空壕に飛び込んだ西村少年の眼前に、小さな可愛い女の子がやはり防空壕に飛び込んで来た。彼女は空襲で燃え盛る火事のさ中、防空壕の隅で尻をまくりおしっこをする。その小さな白い尻に、空襲で燃える火事の炎が赤く映る。こんなことって、あるだろうか。自宅の自室で、煎餅を手に寝転びながら受験雑誌を読み、黄金の一瞬は、いつ来るだろうかと思ったりしていた。怠惰な私は、せっかく両親が受験雑誌をとってくれていたにも拘わらず、一向に勉強のコーナーを読まず、エッセイ、小説、投稿された文章の類ばかりを読んでいた。世は学園紛争で騒然としていた。
結局時代を疾走することになってしまったのだが、誰でもひとつやふたつあると西村は断言しているいわゆる黄金の一瞬は、私には今に至るまで一向に到来しなかった。怠惰で無気力な人生を送ったことも一因としてありそうだが、それだけでもなく、やはりありふれた身過ぎ世過ぎをする庶民にとってはそんなものはなかなかありはしない、とも言えそうである。
小惑星探査機「はやぶさ」が、平成22年6月13日小惑星「イトカワ」の表面物質搭載カプセルを地球に持ち帰ることに成功したという壮挙には感動した。深夜、「はやぶさ」は煌めく光芒を刷いて地球上空で燃え果てた。このような人生があれば、黄金の一瞬たりえよう。
やれやれ・黄金の一瞬は永遠に来ないかもしれない。