松本清張に「顔」と言う短編があるが、良作である。そもそも、松本清張は文豪ではないかと密かに思っている。文豪と言うと、あの頃は、例えば阿部公房などが文豪と持て囃されたりしたが、松本清張の方が数段勝っていて、資格がある様に思うのだが。まあ、文豪の資格要件など特段決まっていないのであろうから、単に趣味の問題だと言われれば言えるかもしれない。短編の内容は、殺人者が有名な俳優になって、映画の彼を観た目撃者が思い出すと言うものであるが、面白い。

 まだ子供だった頃、テレヴィを視ていて、ネスカフェのPRでコーフィーを飲みながら弟子に話しかける闘牛士の横顔に惚れた。つまり、酷薄で素っ気ない感じの顔で、吐き捨てるようなものの言い方で、弟子に語っていた。当時の自分は、あんな顔になりたいものだと思った。

 ダヴィンチのデッサンに、市井の人物を描いたものがあった。鉤鼻で顎がしゃくれた中年の男性が描かれていた。なぜ、ダヴィンチはあんな横顔に興味を持ったのか。

 欧米の経営者とわが国の経営者の顔貌が相違していることに時々驚く。わが国の経営者は偉くなるにつれて人格の円満な完成を求められるらしい。欧米の経営者に多く見られる、油断のならない目つきを認めることは少ない。それでも、最近の経営者の中に、欧米人に似た顔つきの経営者を見ることが多くなった。恐らくは経営の手法が変わってきたのであろう。

 日本大学の創立メンバーについて語られたエッセイを読んだことがある。それは創立メンバーの一人である山田顕義について語っていた。それ以外の創立メンバーは学者がほとんどで、柔和な顔つきばかりだったが、ひとり山田だけが荒涼とした目つきをして遠くのあらぬ方を見据えていたとある。山田の写真を改めて見たが、なるほどと思った。彼は維新の志士の生き残りだった。

 過日、縁あって横浜の郵船博物館を見せてもらったことがある。日本郵船㈱の様々な記念品などが集められた場所であった。私が興味を持ったのは、入口に掲げてあった創立者たちの写真だった。言わずと知れた岩崎弥太郎以下の面々である。彼らは坂本龍馬の作り上げた海援隊あるいは亀山社中にも参加していた。腕組みをして佇む姿はいずれも、誤解を恐れずに言えばやんちゃな、何というか博徒のような顔つきが並んでこちらを向いて並んでいた。今にも飛び掛かってきそうで、豺狼を見る思いがした。

 別れた妻のことだが、その頃父方の祖父が倒れたと聞かされた。甲子園の実家に駆け付けた時にはすでに祖父は意識が無かった。滾々と眠っていたが、ある種重厚な威厳のある顔立ちをしていた。祖父は一代で生業を築いた立志伝中の人物だった。家内の一族で、唯一私が認める人物だった。その顔を見ていて、どこかで見た顔だと思った。漸く思い出したのは暫くたってからだった。赤ん坊の時の息子の顔だった。彼が出産した時、私は仕事で立ち会うことが出来なかった。夜になって武蔵野産婦人科に駆け付け、やっと息子に会うことが出来た。息子は、もちろん眠っていた。その顔が、祖父の顔とそっくりの厳かな顔立ちだった。四季は巡っている。この世を去っていく者と、今この世を訪れた者と。