1.大江健三郎

 この人物の小説で面白いと思ったことはなかった。沖縄についての新書版の本も読んだがあまり感心しなかった。ただ、高校の教科書に出ていたエッセイは面白かった。授業中に繰り返しこっそり読んでいた。そのエッセイは一種の青春彷徨のような趣で、色々な巡り合った文人についての寸評だった。横光利一について、遠慮のない酷評を加えていたのが印象に残っている。

 花田清輝の「復興期の精神」を紹介してもらったのは収穫だった。

 晩年に、彼が左翼的な言辞を弄して、老醜を晒していたのは残念だった。彼の全集のようなものが刊行されたが、いったい誰が読むのだろうかと訝しく思った。

 

2.中村メイコ

 中村メイコが先日亡くなった。このニュースにはある種の感慨を覚えずにはいられなかった。思い出してみると、昭和20年代後半はラジオに耳を澄まして幼少年時代を過ごした。大袈裟に言うと、それが唯一の世界に向けて開いた窓であったのだ。そこで、彼女が何かの連続ドラマで男の子と女の子の2役をこなしていたのを覚えている。私は男の子が演じているのだと思ったが、母親があれは中村メイコと言う人が声色を使って演じていると言っていたのを覚えている。何のドラマだったのかと調べてみたが、分からなかった。実は、「一丁目一番地」だったかと思ったが、それではなかった。これはこれで懐かしいドラマであった。後にNHKのテレビドラマで「バス通り裏」というのがあって、これも毎回楽しみに視ていた。彼女の歌っていた「田舎のバス」と言う歌も、耳に残っている。

 とにかく中村メイコと言う人は楽しい人で、この人の言動を見ていると、いつも心が温まるのを覚えたものである。

 

3.田川 茂

 令和5年、ついに亡くなったかと言う感慨を覚えた。98歳だった。巨木が倒れたような感じだった。100歳迄数えるのではないかと、同窓生の間では噂された。中学に入った時、彼は校長だった。毎週のように朝礼で、彼の演説を聞いた。言葉に一種のリズムがあり、言い回しが独特であったといつも思ったが、内容的には極めて当たり前のことを述べていたように思う。

 ただいつだったか、放校処分にした生徒のことを、彼がいかに母親に無礼であったかということについて口を極めて朝礼で罵ったことを覚えている。その語勢の激しさには他をたじろがせるものがあった。

 われわれは、修学旅行で九州巡りをした。長崎で昼食を済ませて、宮川君と街を食後の散策がてらぶらぶらしていたら、田川先生に出くわした。われわれは制服を着ていたから、もちろん学園の生徒であることを彼も直ちに悟った。彼は我々二人を手招きして近所の店に入った。そこでわれわれはちゃんぽんを御馳走になった。先生は、正面の座席を占めて、新聞か何かを読んでいた。美味であつたが、食後まもなくだったので、腹がはちきれそうになり、閉口した。

 学窓を出て、われわれは別々の大学に学んだ。遠く、田川氏が学園を追い出され、木更津に別の学校を建てたとの噂に驚いた。その当時、雑誌に彼は取り上げられ、現代のラスプーチンなどと呼ばれていた。

 我々も世間でいう引退する頃、田川会なる会合が年に何度か、あるいは1回、開催されていることを知り、参加した。会費が高いのにはめげたが、何しろ健康長寿でありかつ波乱万丈の人生を経た先生を見るのは、痛快さを覚えた。

 

4,山本陽子

 亡くなったとのニュースに接して感慨深いものがあった。彼女は一頃マスコミでは引っ張りだこであった。もちろん彼女の出演した映画なりTVドラマなりで、名作と言われるものが沢山あるであろうが、私は田宮二郎と共演した「無影燈」と言うドラマが印象的であった。彼女の魅力が遺憾なく発揮されていたように思えた。

往時、学生の身である政治家の事務所に出入りしていた。その人物は気さくで、好ましく思っていた。政治家の秘書も就職先に良いか などと思い始めていた。

 折から、その政治家のスキャンダルが噴出した。そして、山本陽子女史との関係が噂された。このニュースには驚かされた。どう考えても、その政治家と山本女史の関係が現実のものとして想像できなかった。だが、件の政治家は潔く身を引き、郷里に帰った。程なくして、新聞の死亡欄に彼の名前を発見した。早い死であった。

 山本女史は、その後も活躍を続けた。もちろん彼女の罪ではない。ただ、私の心に一種の蟠りとして残った。

 

5.立花 隆

立花隆の死去にも落胆した。サラリーマン生活の最後の日々は文京区で過ごした。昼食後その界隈を所在なくさ迷い歩いて、古本屋を覗いたりした。道で時々立花隆氏を見かけた。何というかひょいひょいと言う感じで歩いていて、近所の人と軽く会釈をしたりしていた。彼がリベラルと言うのはある意味当たっているのであろうが、左翼に分類するとすれば、もう少しスケールが大きかったような気がする。

気が付くと彼の本を結構読んでいたことに気づかされた。ところが、最近は「生、死、臨死体験」(講談社文庫、2007年)ばかり手に取る。歳のせいだろう。この本は対談集であるが、対談の相手はほぼ全て鬼籍に入っている。山折哲雄氏など、なかなか好ましく感じた。岡田節人氏との対談も面白くて、受精卵は最初ほぼ母親の遺伝子だけが働いており、分裂が始まって暫くは、父親の遺伝子は死んだふりをしているなどは、最近まで全く知らなかった。色々な人の話しを謙虚に耳を傾けなければならない。