育休を取る傾向にある。男性にも育休を与えるべきだという話題も賑わっている。

われわれがサラリーマンだった時には考えられなかった社会の変容であると感じている。ニュースなどで論じられているのを聞くと、当該人物が職場から離れやすいように、その穴埋めを充実させるべきだと言っていた。しかしながら、その見方は偏頗なものであると思うのだ。恐らくは、最大の問題点はいったん離れた当該人物が、元の職場にうまくはめ込まれるか、ということではなかろうか。テンポラリーに組み込まれた人物が、素晴らしい成果をあげたときにはどうするのか。これらは、極めて人間臭い問題であって、容易な解決が出来るとも思えない。

 ところで、この話題をテレヴィで視ていて、昔の記憶が蘇ってきた。私の妻は、残念なことに流産をしてしまった。8箇月だったので、取り出された胎児は可愛い赤ん坊の姿だった。我々夫婦は今に至るまで、その子のことを時折思い出す。墓参のときも、両親に会いに行くというより、密かに失った胎児に会いに行くという方が、気持ちの上で真実かもしれないと思ったりもする。

 入院したのはキリスト教系の病院だった。胎児は心臓に欠陥があるらしく、狂おしい気持ちで日々を過ごしたが、心音は日を追って弱くなり、最後には死んでしまった。何とかならないものかと、無駄に考え、考えながら職場で仕事をしていた。今だったら、胎児にも手術などの方策があるようであるが、わが子にはどうだったのか。

 看護婦たちもクリスチャンだったので、家内の枕頭で賛美歌を歌ってくれたりしたが、それも忌々しく感じられた。

 胎児の死が確定し、家内の体から取り出された後、病院で簡単な葬式をした。私は、娘のために、胎児は女の子だった、小さな縫いぐるみを買ってやった。それは棺桶に収められて一緒に焼かれた。遺骨はひとつまみしかなかった。

 しばらく、家内は入院が続いた。私は、毎日家で呆然と日を過ごした。そうしてふらふらと病院に行き、家内のベッドのそばで蹲っていた。暫くして、家内も心配して職場に戻るようにといった。胎児の死が確定して1週間たった頃だと思う。しかし、私は職場に行く気にならなかった。毎朝職場に電話を入れて休みたいと告げた。丁度1週間目くらいに、いつも通り朝電話をして直属の上司に今日も休むと告げた。その時、電話口で突然喚き散らされたのには驚いた。改めて目が覚める思いがした。上司は「いい加減にしろ!」といった。その上司とは普段からうまくいっていなかったので、むくりと反発心が起きた。その上司は、部長になれると思っていたら、別の部署から新しい部長が来たので、当時イライラしていた。職場で、何度も私は理不尽に当たり散らされた。今でも、その上司の罵詈雑言は忘れられない。

 育休だけではなく、何というか忌引き休暇も皆ちゃんと取れているものかと案じている。当時は、確かに忌引き休暇は少な目に取ることが常態化していたように思う。それば出来る場合もあろうが、どうしても現実になかなか戻れない時もあるのである。