里親制度は、養育家庭と名付けられた夫婦(現時点では。カップルも容認するという話しも出ている。これは慎重に考察するべきだ。) に里子という孤児あるいは家庭に問題があってスピンアウトしたあるいはさせられた子供を託して、疑似家庭を営むことである。養子としないということで、相続等の煩わしさからは解放されるが、同時に親子の絆をどこまで作り上げるかということは、それぞれの養育家庭の在り方に委ねられているとも言い得る。
長らく、児童相談所(児相という。) は、養育家庭では濃密な親子関係となることは避け、できるだけ下宿のおじさんおばさん状態を理想とし、里子とはドライで希薄な関係性で好いと考えていたふしがある。結局、児相にとっては、子供がどのように育つかではなく、単に生物として成長できることだけが目標であり、施設の延長で十分との認識があったものであろう。しかしながら、施設(孤児院、乳児院、養護施設等)育ちの子供が、やはり社会性において欠陥を持っている場合が多くあることから、それは問題であり、やはり疑似であったとしても養育家庭の方が優れているのではという見方が僅かながら一方にあった。しかしながら、児相を壟断している人脈には、施設関係者が多く、この見方は少数に限られた。さらに、養育家庭も問題があって、家庭によっては、施設のような均質なサービスが提供されず、それぞれの養育家庭によって長所短所が見受けられるなど、質的なバラつきが見られた。そこに、養育家庭が児相からつけ入れられる余地があり、しばしば前触れなしの児童引き上げを行なうことで、養育家庭を恫喝し、養親を児相の膝下に組み敷くという手荒な手段が講じられた。彼らは飴と鞭を使い分け、児相からの経済的支援もまた、重要な里親支配の手段となっている。
しかしながら、少し前から厚労省が里子の養育の重点を養育家庭に置きたいとの意向が明らかとなった。その理由は、そもそも児相は虐待に専念するべき(しかしながら、そもそも児相にはさような力量はなく、虐待は警察に委ねるべきなのだ。このため、何度も虐待死が起こり、児相は無力・手遅れを露呈している。) であり、一般的な里子の養育は養育家庭に委ねようとの風潮が出、さらに安倍総理の構想として、公的なサービスから移管できるものについては民間に委ねたいという考えが根底にあって、それが実現したものである。この場合、厚労省は、養育家庭のクオリティーの不均質も、ひとつの個性であるとの理解があったものであろう。ただ、養育家庭では様々な点で孤立化の傾向が出ることから、これをサポートする公的サービスが様々考案されてきた。少し前には里親専門相談員制度(いわゆる里専)が出来たが今では破綻状況にある。それは里専の多くが施設要員によるサービス提供のため、スタッフ自体養育家庭を理解できず、またスタッフの多くが纏う官僚臭が払拭できず、さらに根底には養育家庭に対する蔑視が潜んでいるふしさえうかがわせるため、相互の理解が進まず破綻したものである。馬鹿げたことに、この制度は以下に述べる新制度が出来ても存続しており、破綻が露呈した後でも公金を貪っている。そもそも、この制度に蔓延している関係者による庇い合いの構造が存続していることにも問題があろう。
この現象に苛立ちを覚えた厚労省は、さらに露骨に主流は里親制度であるべきであり、施設は従たる存在であって、虐待児童を吸収する第一次容器であるとの考えを打ち出した。そして、一向にはかがいかない里専も見放し、新たなフォスタリング機関制度を提案した。このフォスタリング機関は、もともとのアイデアでは純粋に民間からの業者の出現が想定され期待されたものだが、ここにも施設が入り込み、フォスタリング機関に変身するという現象が起こっている。このような公金チューチューは本来厳しく排除されるべきであるが、養育家庭のサポートは専門性が必要との幻想を振り撒き(児童福祉士の資格要件の曖昧さがそこにある。)、純粋の民間参入を阻んだ。当時、施設は養育家庭に児童が奪われ、代わりに虐待児童が入り込んで来たため、非虐待児童について受け取る料金がなくなり、他方虐待児童についてはさまざま余計な経費が嵩むという苦境に陥って、金を欲していた。
しかしながら、果然と言うべきか、フォスタリング機関となった各施設あるいは既存の団体(例えば、キーアセット等)は、厚労省の提言を曲解して児相の下部組織となることを目指しており、児相のポチとなりたがるという状況が出現した。フォスタリング機関の最初の説明会場で多く見られた映像を見ると、ほぼ全て児相あるいは地方公共団体と並んで席をしめ、ふんぞり返って上座から養親を睥睨するというシーンが多く認められた。元来厚労省の想定では、フォスタリング機関は養育家庭の同僚であるべきであり、もっと言うなら養育家庭団体の下部組織であるべきなのだ。この勘違いが、随所で問題を起こしている。フォスタリング機関と養育家庭支部との契約関係すら明らかになっていない所が少なくない。
用心深い養育家庭支部では、自らNPO法人のような組織を立ち上げ、直接フォスタリング機関に接するのではなく、その組織自体をフォスタリング機関として、事務局は里親が交互に携わり、施設あるいは既存の団体をその下部組織として、ケースバイケースで使嗾することにした。このような養育家庭支部ではまだましな運営がなされているやに聞く。結局、施設あるいは既存の団体では、養育の何たるかを真に理解できず、里専が抱えていた相互無理解の平行線がそのまま持ち込まれる現象となっているからである。結局、里親の苦しみ、悩みは、里親にしか分からないという不断の原理を十分に理解するべきであり、この理解からスタートして様々な制度を設計するべきなのだ。