サイトを検索していたら、消えたお菓子についての様々なコメントに遭遇した。しかしながら、私が懐かしいと思う菓子はなかったので、あえて取り上げることにした。

 

1.フランスキャラメル 不二家 

 子供のころは、飴玉をひとつなかなか食べきれなかった。それで、よく途中で吐き出していた。森永のミルクキャラメルも好きだったが、柔らかく歯に付きやすいいわゆるキャラメルで、不二家のフランスキャラメルは同じような味だったが、固い飴で持ちがよかった。いつまでも口の中で転がしておけたし、嫌になると出して皿に置いて、また後で食べたりした。ミルクキャラメルというのは幸福感を覚える味である。グアムに潜んだ兵士が、食べるものに困り、森林からはい出してきた芋虫を食べたらミルクキャラメルの味がしたと述懐していたのを何かで読んだ。太古の人類に植え付けられた記憶の味なのかもしれない。

 飴は金属のケースに入っていてモダンな感じだった。トリコロールがあしらわれていて赤を主体とした明るい彩色であったが、まだ見ぬ外国への憧れをかきたてられた。金髪の女の子の絵が描いてあって、早い話しその子が好きになった。いつかこのような女の子と友達になりたいと思ったりもした。そのような訳で、色々楽しめる飴だったように思う。

 

2.レモンシトロン   コロンバン

 昭和30年代ごろ、コロンバンと言う店は憧れのケーキ屋さんで、何か祝い事などがあると、親がケーキを買ってくれた。例えばクリスマスケーキは、我が家では必ずコロンバンのものと決めていた。今のように大衆向けの菓子屋になるとは思わなかった。

このコロンバンで、レモンの香りがたった、少し大きめのフィナンシエのような口当たりの菓子があった。レモンシトロンと言ったが、包みを破ると仄かにレモンの香りがした。バイオリンのレッスンがあった後、母がよく買ってくれた。上品な甘さで気に入っていたが、最近は見かけなくなった。恐らくは黄身を使用した後の白味を使うために作った菓子なのだろう。齧ると、断面は真っ白だった。

 

2.カティーサークの紅茶飴

 紅茶の味がする飴は他にもあるだろうが、この飴が一番紅茶の香りが感じられた気がする。この飴については私より家内の方に思い入れがあって、子供のころ車に弱い彼女が、車に乗るときに必ず持っていたものらしかった。バスで遠足に行く時は、気分が怪しくなると、この飴を口に含んで紅茶の香りを感じていると、少し気が紛れてよかったようである。

 私も、中年を過ぎて消化器の検査をするようになった。大腸検査では美味しくない下剤を飲まなければならない。この2リットルの液体も昔に比べると随分良い味になってはきたが、所詮下剤は下剤でしかない。飲んでいる時に飴などを食べて気を紛らわす。まさか何か食べるというわけにもいかず、飴が救いの神である。その時私は黒飴を口にするのが常である。しかし、ああ、あの紅茶飴があればいいのにと時々思う。

 

4.コーヒーロール ア-トコーヒー

 バイオリンの先生は代々木八幡に住んでいた。いったん新宿に出て京王線で自宅まで帰った。新宿駅に出ると、必ず母親とアートコーヒーのジューススタンドでジュースを飲んでほっと一息入れた。今は亡き母と一口ジュースを飲んで、顔を見合わせて笑いあったことを今のことのように思い出す。その店の売店にコーヒーロールがあって、買って帰った。バイオリンのレッスンは金曜日だったので、週末の朝食にこのパンを食べるのがささやかな贅沢だった。子供のころはコーヒーを飲ませてもらえなかったので、このパンで香りを楽しむのが嬉しかった。サラリーマンになったころ、ある時アートコーヒーの店先を通ったら、コーヒーロールが目に入った。試しに買って帰って食べてみたら、昔の感激はなかった。パンの味が変わったのか、私の味覚が鈍くなってしまったのか。

 

5.チューブ式チョコレート

 私は昭和25年に神戸で生まれた。昭和35年まで神戸に居て、父親の転勤とともに上京した。神戸に居た頃、父が時々チューブに入ったチョコレートを持って帰ってきた。格別美味しいわけでもなかったが、歯磨きと同じ形のチューブがペタンコになっても、いつまでもしゃぶっていた。逆にチューブ式歯磨きはあの頃どちらかと言うとハイカラで、父親は缶に入った粉状の歯磨き粉を使っていたように思う。スーパーライオンと言う歯磨きが大変なヒット商品で、テレヴィでやっていた「スーパーマン」とともに、有名な商品であった。あのブルーを主体としたデザインの表装が懐かしい。

上京して暫くたって、不思議なことにチューブ式チョコレートがなくなったことに気づいた。たぶん、あの菓子はもともとは米軍の携行食だったのであろうと推測している。