ついに、トランジスタ・ラジオが鳴らなくなってしまった。

厳密に言うと、どのダイヤルを回しても雑音しか出ない。トランジスタ・ラジオと言う言い方も今では古臭い感じがする。

これを購入したのは、かれこれ60年以上前になる。正月に祖母が沢山お年玉をくれたのを機に、親から金を足してもらって手に入れた。当時としてはちょっと高級な製品であったように思う。SONY製のもので、本当に長く私にとって大切な生活の伴侶であった。受験生活の時には、碌に勉強もせず、形ばかり机に座って深夜番組を聴いていた。このラジオからビートルズが流れた時には、そのサウンドに新鮮な驚きを覚えた。

10歳の時入院を余儀なくされた。数箇月の入院生活であった。初台にある小さな病院だった。熱が下がらず、ずっと解熱剤を投与されていた。胃が食事を受け付けず、したがって解熱剤の内服が出来ないため、毎日尻に注射をされた。注射は痛く、それが嫌だった。いつかその分量を間違えたらしく、熱が下がり過ぎてガタガタと悪寒が走って母親を驚ろかせた。

倦怠感が甚だしく、幼いながら死ぬのではないかとの恐怖に苛まれた。なかなか診断がつかず、暗くなる日々であった。死ぬのが恐ろしいと母親に訴えた。母親は、ずっと付き添っていて、私のいたベッドの横の床に寝てくれていた。母親は、私が死んだら自分もすぐに追いかけるから安心しなさいと言った。私は、母親の情愛について、それまでもそうだったが、以後欠片も疑うことはなかった。

明け方、3時か4時になるともう眠っていることが出来ず、枕元にあるこのラジオのダイヤルを捻って、耳をすましながらやっている番組はないかと探した。どの局も最初はシーと言う波の様なあるいは風のような音しかしない。しかたなく、その波の様な音を聞いてしばらく過ごす。やがて音楽とともに放送が始まるのである。TBSや文化放送を良く聴いた。明け方になると、色々な宗教のPR番組をやっていた。内容はよくわからなかったが、単純に慰められた。寄席番組が好きだった。昔はよくやっていた。演芸ホールの実況が特に好きだった。開演や芸人の登場の時に拍手が入っていて、なぜかその拍手の音を聞くと少し安心した。落語が一番面白いと思った。漫才も良かったし、講談も面白かった。浪曲も好きだった。とにかく時間はうんとある上に、読書は禁じられていたので、浪曲もじっくり聞く暇があった。慌ただしい普通の日常生活を送っていたら、浪曲など聞くゆとりなどはなかったかもしれない。NHKのラジオドラマも好きだった。連続ものを夕方からやるので、わくわくしながらそれを聞いていた。教育放送でもおとぎ話をよくやっていて、楽しみにしていた。新聞の番組表を見ることができなかったので、毎日ラジオのダイヤルを捻って、行き当たりばったりで聴いて過ごした。

今でも時々、ラジオのスイッチを入れて、またこのラジオが蘇らないかと試してみることがある。