笹山「ドリフターズとその時代」(文春新書、2022年)を関西からの帰りの新幹線で一気に読んだ。私はこれを7月に購入した。この本は6月に刊行されたのに、驚いたことにひと月ですでに第2刷だった。ドリフターズの存在にいつ気が付いたのだろうと考える。昭和41年に行われたビートルズ日本公演の際、前座で演奏をしていたそうだが、それには気づかなかった。高校1年生だったのだが、あの日は熱い1日だった。もちろんチケットなど入手することが出来なかったので、テレヴィに噛り付いて視ていた。ポール・マッカートニーがさかんにマイクの具合を気にしていたのを覚えている。

ドリフターズの認識は、やはり「全員集合」だろうなあ。子供の目にも、コントが手の込んだ作りだというのはわかった。われわれの世代は、ドリフターズというよりは、クレージーキャッツを親しく目にしていたように思う。何といいうか、おしゃれで、ちょっと悪い、しかしながら子供には面白いお兄さんと言う感じだった。何となく知ってはいたが、当時のわが国のポピュラー業界は、米軍キャンプから生み出されたというようなことが書いてあった。クレージーキャッツの思い出を昔読んだことがあるが、それはそうだろうなと言う印象を覚えた。彼らの思い出話によれば、キャンプでもらって食べた残飯が美味かったということだった。しかしながら、ドリフターズにとって、クレージーキャッツはもはや大したライバルではなく、脅威はコント55号だったというのも、初めて知ったことだった。なるほど、当時欽ちゃんは凄かった。

ドリフターズでは、やはりかとちゃんが目立った。しかしながら、荒井注も面白かったので、彼が辞めてしまったのにはがっかりだった。志村が加入したのは分かっていたが、本当にいつから面白いと思うようになったのか判然しない。バカ殿などはバカバカしいと思えて、あまり視なかった。最近、ケーブルテレヴィでリバイバルの映像を見て、やはり凝った作りだと分かり、見直したところがある。志村けんといかりや長介が、最後はライバルとなって同類のこだわり屋であったとの指摘は新鮮だった。いかりやは、刑事ドラマなどで随分見直した。とすれば、志村も役者として、まだまだ伸びる余地があったのだろうと思うと、惜しいことであった。

ドリフターズに所属したメンバーのほとんどは、少し年長だったが、志村は紛れもなく同世代だった。彼の死を思い、確かにわれわれが所属した時代についてさまざま思うのである。