安部氏がテロに遭いこれについて、言論の自由とか民主主義の根幹がどうのこうのとか統一教会が憎くてとか、余りにも皮相な、というよりそのような見方として矮小化してこの事件を片づけたいと言う論者の企みが透けて見えて胸糞が悪くなる。一体、氏の死去で、どこの国が喜び、誰が満足をするかを考えてみると、なかなかこの問題はそんなに浅いものではないような気がするのである。犯人の用いた弾丸は、恐らくHollow-point弾に近いものではないかと思う。安部氏はほぼ即死ではなかったのだろうか。だが、犯人はこのような弾丸の恐るべき殺傷能力をどこで学んだのであろうか。SNSだけであろうか。誰か指導をした者が居たかもしれないとの疑念を払しょくしきれない。

偶偶先日ウクライナから来られたナザレンコ・アンドリー氏の講演を聞いたが、そこでいくつか胸に刺さったコメントがあった。たとえば、専守防衛というが、それは敵を国内に引き入れて戦うと言う陰惨な戦争を国民に課すと言いう意味に他ならないとか、「第3次世界大戦が起きると思うか?」との参加者の質問に、「もう起きているではないか。」との答えなどであろう。この文脈で氏の死を見直してみると、これは容易ならざることではないかと慄然とするのだ。例えば、尖閣諸島で某国との衝突が勃発したとするか、国民は現首相の方などを見たりしまい。安部氏に注目し、彼の判断を聞きたいと思うだろう。わが国はどうしたらいいか、彼しか国民を導くことが出来なかったのではないか。その扇の要のような人物が見事に取り除かれたのだ。確かに戦争はもう始まっているとみなくてはなるまい。

東晋の武将が347年に蜀を滅ぼし入蜀を果たした際、諸葛亮が生きていた時に小吏を務めていたという百歳を超える老人に対し、「諸葛丞相は、今で言えば誰と比べられるか?」と問うた所「諸葛丞相が存命中の時はそれほど特別なお方のようには見えませんでした。しかし諸葛丞相がお亡くなりになられてからは、あの人のような人はもういらっしゃらないように思いました」と答えたという。なるほど、彼の死後支那には1800年ろくでもない人物しか出て来ず、とすればわが国も第2の安部氏を得るのに少なくとも千年は待たなくてはなるまいか。

とりあえず、何としても実行者の口を割らすべきだ。遅きに失したが、奈良県警にも内通者が居る可能性はないのか。公安は何をしているのか。前から気になっていたが、海上自衛隊は旧海軍を引き継いでいるのであろうが、旧海軍には合理主義の衣を纏って密かにマルキシズムが浸透していたとの噂もある。旧陸軍の皇道派を論う前に、この際その癌細胞を剔抉すべきではなかろうか。戦後、わが国にはマッカーシーのような傑物が出現せず、政財官界にマルキシズムがシロアリのごとく巣くっているのが実情である。とにかく氏の死を無駄にしてはならない。