我が家のペットの猫が昨日死んだ。ちょうど5年ほど前にやはり我が家に居た猫が死んだのだが、どちらもちょっとしたショックであった。昨夜はなかなか寝付かれず、今朝も早く目が覚めてしまった。養老博士が、愛猫を亡くされて、呆然とされていたようであるが、本当にお気持ちがよくわかる。前の猫も何かの拍子に思い出すのであるが、生活の一コマの中で、ちょっとしたわれわれの心の隙間に入っていて、生活を和ませてくれていたと分かるのである。猫のしぐさを見入っていたり、話しかけてみたり、一緒に風呂に入ったり、われわれが何かしていると傍に座ってこちらを見ていたり、テレヴィを観ながらうとうとしていると、横で同じように寝そべっていたりと思い出すことがたくさんある。そういう存在が亡くなって、喪失感はなかなかのものである。かみさんが台所で働いていると、少し離れたところで妙に考え深そうな顔つきをして眺めているのである。今日からは、そのギャラリーがいなくなった。
久しく腎臓が動かなくなっていて、最後の3年ほどは苦しい生活であったろう。コウケントーという光線療法で一度は奇跡のように蘇ったのだが、3年の延命を果たせたものの先日の暑さで熱中症のような症状になったのがいけなかったのかもしれない。