小さい頃食が細かった。いつもお腹を壊していた。
おやつと言っても昭和30年代前後には何もなかった。たいていは、蒸かし芋、はったい粉あるいは焼トウモロコシだったように思う。母親が時々プリンを作ってくれた。卵と牛乳を蒸して固めたものだった。ヴァニラもなくて、あのぬめりとした感触はあまり好きになれなかった。時々お客さんが来て、文明堂のカステラ、お饅頭などを持ってきてくれた。洋菓子はめったにお目にかからなかったように思う。昭和30年代はそんな感じだった。ある日、置いてあったお饅頭を食べたら、中にびっしり蟻が居た。あの感触は忘れられない。蟻の巣に歯を立てたら、ミーンと言うような音がしたように覚えている。蟻が鳴いたのか、蟻の群れが蠢く時の音か。
森市場にパン屋があって、母親が時々シュークリームを買ってくれた。卒倒するような甘さにボーッとなった。
岡本駅の近くに大名焼と称する大判焼が売られ始めた。お客が買って来てくれて食べたが、初めて食べた感動は忘れられない。この店は焼き芋の壺焼きなるものもやっていた。この芋も大層甘かったような気がする。要するにとりあえず甘さが贅沢の象徴みたいなものだった。
三ノ宮のデパートに両親が買物に行く時付いていくと、デパートの大食堂で必ずきつね饂飩とソフトクリームを食べた。美味しかったが、確か饂飩は全部食べられなかったように思う。ソフトクリームは完食した。そして、後でお腹を壊した。
ことぶきやと言う有名な食堂で、氷みぞれを食べた時も感動した。食べ終えて、外に出ると暑いさなかの日照りにも拘らず、快い暖かさなのには驚いた。そごうの入口には氷柱が立っていた。入る人はみんなその氷をさわった。冷房は無く、大きな扇風機が天井で回っていたが、店内はうだるような暑さだった。
東京に上京する少し前だから昭和35年頃に、甲南の方に洋菓子屋が出来た。ガラス張りで、当時としてはモダンな佇まいだった。本山第一小学校からの下校時、少し遠回りをしてその洋菓子屋を見ながら帰るようになった。中では、職人さんがケーキを作っているのが良く見えた。ある日、通りがかったら白い上っ張りを来たいわゆるパティシエがケーキの台を一生懸命作っていた。周りに生クリームをナイフで塗り付けている最中だった。くるりと白いケーキの台が出来上り、パティシエは屈んでいた体を起こして、ケーキの出来栄えを見た。そうして、指に付いたクリームをペロリと舐めた。