私は内親王の御態度を云々することより、側近の者たちが全くこの件で役に立たなかったことに驚きを禁じ得ない。宮内庁と言う役所は、宮内省と言った戦前の役所とは全く別の組織なのであろう。私は、この件で宮内庁の役人の誰かが、内親王をお諫め申し上げて自裁するのではないかと恐れた。だが、それは杞憂に過ぎなかった。
また、小室が自由気ままに泳ぎ回っており、かつその母親も何の痛痒も感じないで日常生活を営んでいるらしいことにも改めて以外の感に打たれた。恐らくは、昭和と言われた時代であれば、まだ壮士と呼ばれた人物たちが健在で、このような明らかに疎ましい人物に天誅を加えたことであろう。私は平生暴力を好まないが、明らかにこのような理屈の通らない存在に対しては、強制力を持って排除しようとする、言ってみれば健全な力がわが国には古来あった。だが、今ではそのような力は存在しない。明らかにわが国の国柄は変質している。野蛮な国が文化的な国となったというような呑気な感想を私は持つことができなかった。この小室事件のあった日々、毎日朝のニュースに注目していたが、ニュースが取り上げる題材が、芸能ネタ、スポーツそしてグルメ特集に日頃と変わらず占められていたことには呆れた。わが国はどうにかなってしまったのであろうか。