1.戦争が終結するにあたり、ポツダム宣言を受諾するかどうかの瀬戸際で、その任にあたった鈴木貫太郎総理が海軍出身であった関係から米内海軍大臣がずいぶん補佐したように、御健在のころの元海軍大佐実松 譲氏から聞いている。その米内さんの尻を、井上大将が叩いたようである。「米内さん、手ぬるい。早く戦争を終わらせないとわが国が滅びる。」というようなお話しがあったようである。これは作家の阿川弘之氏の本からの受け売りである。

 ことは皇室の処遇にあった。井上大将は、この際皇室を無くしても早期に戦争を終結させるべきだというようなお話しであったように記憶している。これは一理ある。連日わが国は爆撃されて多くの死者が出ている状況で、いわば一寸刻みで国が追い詰められていたのである。この皇室に対する温度差の相違から、誠に痛ましいことながら戦後米内さんと井上さんの間には若干の溝が出来たようである。私は半生をとある会社に所属していたが、その中におられた先輩のお父君は元海軍軍人で、生前の井上大将に一度お目にかかったことがあるとのことであった。井上さんはすでに一介の庶民で、横須賀に隠棲しておられた。先輩は玄関口に出て来た当時の井上さんと顔を合せた。眼光炯炯と射竦める様で、先輩は顔を背けたとのことであった。

 終戦に至るプロセスは、まだ未解明な部分が相当あるように思われる。その一つは、皇室の処遇を、本当のところいったい当時の国民はどのように考えていたのであろうかということである。終戦当時、昭和天皇陛下は恐らく、少なくともご自身ではご退位を覚悟されていたに相違ない。戦後、陛下は皇室の存続に腐心されて来られたように思う。その御心を思うと胸が詰まる思いがする。上皇陛下も東日本震災の際被災地に駆けつけて見舞われるなど国民に寄り添う姿勢を示され、避難民と膝をついて話しをされているお姿には多くの国民の感動を誘った。これらのニュースは皇室に対する親しみを醸成する。

 一片の思い出がある。先年亡くなった母親との幼い日の記憶である。昭和30年初われわれは神戸に居た。摂津本山が最寄りの駅で、国道2号線の近くに住んでいた。今ではビルが重なり合うように立つ都会となっているが、当時は線路沿いに小さな牧場があるような田舎町であった。お召列車が通るということで、私は母親に連れられて線路迄見に行った。確か何軒か先に住んでいた同じ歳の女友達も居たように思う。お召列車は爆音を残して瞬く間に通り過ぎた。われわれは歓声を上げながら手を振って見送った。一瞬こちら側の窓から手が振られるのをわれわれ子供達は見た。長らく私はそれを侍従か誰かが手を振ってくれたのだろうと思いこんでいた。随分後になって私はその記憶を母親に話した。母はその時のことを忘れていた。その話は、神戸時代の思い出のついでに話したものであった。既に私は初老となっており、母親も老いていた。あれは侍従か誰か御付きの人が振ってくれたのだろうとの予想を私は母親に述べた。母親は居住まいを正し、それを即座に否定した。「もしお召列車からお前たちに手を振った方がおられたとしたら、それは陛下しかありえない。」と語った母親の顔とその声を今でも覚えている。母親の顔は逆光になっていてほの暗く、しかし万古の影を宿したように厳粛な顔つきをしていた。そしてその声は、かすかな地響きのような唸りを残し遠くからの木霊のように私の耳に響いた。それは連綿と続く大和民族が何かを伝えたいと共にあげる声のようでもあった。

2.英国の王室を見ると、国民との間が近くなったり遠くなったりする様がよくわかる。国王が処刑されることすらあるのが、王制の恐ろしいところである。かような歴史を見ると、今やわが国の皇室が常に安泰であるとは思えない。この数年眞子内親王を巡るニュースは国民の違和感を誘ったが、特に昨今内親王が国民と対峙するがごとき態度を示されたことには、深く傷つけられた国民も多かったのではなかろうか。いわば終戦以来、昭和天皇陛下が築き上げて来られた国民との紐帯に綻びが出始めているような気さえする。

 この内親王の御態度やご発言については、新しい皇室の在り方とか個人の人権の問題などとして肯定的に捉える考えもあれば、あくまで伝統的な皇室に対する在り方への期待感などから批判的な立場もあることは、マスコミの報道および雑誌を読むことで知ることが出来た。何より国民が驚いたのは、内親王が、またその妹君も側聞するところ、皇族であるという身分に不自由さと不遇さを感じ、いら立ちとともに国民との絆を断ち切って、飛び立ちたいとのご希望を平生お持ちであった、そして今でもあるらしいということであった。もちろん眞子内親王が無事旅立たれたように、国民はそのお気持ちを止める手立てを持ち合わせてはいない。そうして、私は内親王がその亡命先に旧敵国の米国を選択されたことに大いに驚いたのである。ここでは、常に皇族は国民とともにあって、われわれと苦楽を共にしてくださるとの見込みは、見事に外れた。かように、個人の自由というものは、それを貫徹するとすれば場合によって冷酷でかつ苦いものである。