3.憲法のドグマ

憲法(The Constitution of Japan)の前文およびその1章から3章までについては、とりわけ大切な内容として尊重され、護られている。同法は、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。1945年(昭和20年)8月15日に、ポツダム宣言を受諾したわが国は、軍の解体、民主主義の強化、基本的人権の尊重、平和主義、国民の自由意思による政治形態の決定などが求められ、それに基づき事実上憲法改正が要請される機運となっていた。そこで連合国軍(General Headquarters)は占領中に連合国軍最高司令官総司令部の指導下「憲法改正草案要綱」を作成し、その後紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。大日本帝国憲法73条には、第1項として、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」と書かれており、第2項には「此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」となっている。現行憲法は、まさにこの手続きに乗って改正されたものなのである。

ところで、筆者は昭和40年代大学における憲法講義で8月15日革命説なる寓話を聞かされ、それを大真面目に講ずる教授の頭の具合を疑った。どうやら憲法学会でも現行憲法が押し付け憲法であるということについては気恥ずかしく感じており、かといって、自ら制定したなどと言うこともできないと言うジレンマからかような笑わせる話しを思いついたのであろう。私は、この学説が宮沢俊義氏と言う憲法の大御所から出されたらしいことにも驚かされた。

少し前に、日本人学者によって自主的に現行憲法に近い草案を作られたがごとくNHKで大真面目に取り上げられていた。しかしながら、学者の世界を知っていればこのような馬鹿げた仮説はあり得ないだろう。当時、憲法学会には綺羅星のごとく錚々たる憲法学者が戦前の老大家を含め新進気鋭の学者まで揃って居た。その中で、吹けば飛ぶような一学者が、新憲法に近い草案を出したとして、そのまますんなり通る事などあり得なかったろう。この政府案と称する要綱は、事前に公表されたが、その発表が突然であったことと、またその内容が予想外に急進的であることについて、当時の新聞報道によれば国民は大きな衝撃を受けたとある。

 筆者は、わが国の学会のみならず、政財界を覆っているある種退嬰的な精神の委縮、というより判断停止に気付き、なぜそのようなことになるのかと長らく不可思議に思ってきた。やがて、それは平和、基本的人権、民主主義に纏わる問題について、特に顕著であると言う事に思い当たった。ひところ、この3つの理念についてハンス・ケルゼン風の根本規範などと言い、憲法の上位概念であると称する見解があった。この規範は仮令憲法を改正したとしても、変ずることは適わないというものであった。とすれば、紛れもなくこの規範こそが憲法ということになるのであろうが、この規範の承認について民意がいつどのような形で反映されたものなのであろう。

われわれは、大学で講ずる憲法の授業を甘く見過ぎていたと思わざるを得ない。大学どころか、わが国の憲法は小学校以来、折に触れて紹介され、その内容が素晴らしいものとして講じられてきた。それは、国の有様としては元来正しいことであると言うべきなのであろう。私自身は、この憲法条項から匂いたってくるある種のマゾヒズムに、子供のころから何となく嫌悪感を覚えていた。ともあれ、憲法の基本的な理念がわれわれの脳髄に植え付けられた。先述のように3つの理念に関係するような事案があると、多くの識者が痴呆のように判断を鈍らせ、混線したオーディオのごとく、繰り返し同じことを宣うようになる。いわく、平和、基本的人権、民主主義である。そして、リモート・コントロールを受けているがごとく、誰もかれも同じようなことを言い、同じように判断停止に陥る。これと同じようなものを映画の「ロボコップ」で観た。ロボコップと言う最強の警察官はサイボーグであるが、製作者および所有者には歯向かえない。そのようにプログラムされている。この憲法を押し付けた者は、そのようにわが国民の脳髄に、ある種の問題に関して判断停止をするようにプログラムされたもののごとくである。現行憲法は、その実態を見ると、民定でないどころか、欽定ですらない。この憲法は、誰であるか判然しない異国人から押し付けられた物で、しかもその中に仕組まれたプログラムによれば、如何なる場合でも、自衛も含めて絶対に戦いを望まず、国を前提とした国民の集団ではなく、最優先で個人を尊重するがゆえに、全体としては纏まりに欠け、国民、というよりはむしろ市民と言う言葉が好まれるのであろうが、市民が烏合の衆の様に群れた存在として、あたかも支配してくれる者の来臨を渇仰する家畜のような国であり、現代に生きる国民が是とする事だけが正しいものとし、夫婦別姓の推進に見られるようにあくまで個の単位までの解体を目指しており、そこではむろん先祖の意思は等閑視され、常に刹那的な価値判断をするように方向づけられているようでもある。