藤井先生が満州国について講述していて、治安が良かったことと街が最先端の設備であったことが述べられていた。それで思い出した。母親は昭和の初め頃神戸の某女学校に在籍していたが、満州まで修学旅行をしたと懐かしそうに話していた。例の亜細亜号に乗ったそうだ。車両は広々としていて、食堂車も美味だったと言う。大連に着いて、友達とあちこち見て回った。たぶん、治安は申し分なかったのであろう。アカシアの並木道が果てしなく続いて、実に美しい街路だったようである。大和ホテルは快適で、そこでアップルパイを食べたらしい。車窓から見る景色は、広大で地平線まで広がり、空とひとつになっていた。