中学に入り、最初誰とも馴染めなかった。W君との最初の出会いがどうだったか、今となっては判然しない。ただ、休み時間が終わり、行列を作って教室に入る時に、度々慌ただしく言葉を交わすようになったことを思い出す。だいたい、彼は皮肉っぽくからかうような、試すような口ぶりだった。彼は中学3年生くらいからグンと成績が上がり、勉強でいつも試され、知識不足を笑われたりした。彼は都会っ子で才子風の面影を持っていたように思う。ひところ、W君と共に過ごすことが多かった。しょっちゅう話しをし、登下校を共にし、修学旅行でも同部屋であった。何の本を読んだのかとよく聞かれた。高校三年のころは、大学も含めて学園が荒れた頃で、だんだんお互い意思の疎通が難解な状況になってきた。
卒業式の時、なぜかこれからはW君に頼っていてはいけないなどと決然思ったりした。あの時が人生の岐路で、彼とは疎遠となり、音信不通となった。それぞれが別の道を歩み始めた。彼が大学に入り、私も別の大学に入った。それでも風の便りでW君が同じような学生運動のグループだったことを知り、何となく安心した気がした。その後、社会に出て彼が就職をしたことを聞き、その後家業を継いだことも聞いた。実家の事業を拡大させ、大いに業績を上げたとも聞いた。が、実はそのような彼の人生岐路がいかにも惜しかったと焼けつくような思いがある。惜しむべし真に惜しむべし、彼の才や、泰山を動かすならんや。その才は雄大で、恐らくは彼の人生はその才を収めるには器として狭小過ぎた。やがて私はサラリーマン生活に行き詰まりを感じ、唐突にW君に会いたくなった。連絡をすると、彼は会いましょうと返事をくれた。私は彼の店を訪ね、昼に近所のすし屋に連れていかれた。二人はとりとめもない話しをした。今となっては内容を思い出せない。
最後に会ったのは数年前にニューオータニで開催された同期会だったろうと思う。W君が亡くなったことを共通の友人から聞いて、あれこれ思いに耽っていると、突然途轍もないものを失った気がして、思わず取り乱しそうになった。W君はいつも指導者の面影を持っていた。ヘルマン・ヘッセのデミアンがそうであったように、遠く離れていても、常に居てくれて、それだけで安心する存在であった。