このところ、この作家について考えることが多い。種本は伊東冬美「フランス革命に抗して」(中公新書、昭和60年)である。あのフランス革命の真っただ中で、シャトーブリアンはいかにして正気を保ちえたのであろうか。私自身も、昭和44年から国中に蔓延した学園紛争にあって、大いに迷ったものである。流行りのものに抗うのは難しいものである。桂小金治が昼のワイドショーで、さかんに革新的な言辞を弄し、学生運動家の学生などを呼んで、甘やかし持ち上げていた。が、彼らの主張はほぼ誤りであった。考えてみれば、フランス革命で、打ち出された概念はルソーの主張に沿っている。

シャトーブリアンは、革命下の虐殺を見てショックを受けた。そして共和主義に疑惑を持った。さらに、渡米して米国の実情を見て、確信を持った。君主制が優れている。それに対し、共和制は人をダメにする。米国について彼の抱いた疑惑は次のようなものだった。1.広大な土地に複数の民族が混在して、いかに統合をするのか。そこに、君主も宗教もないとすれば、すこぶる困難であろう。2.米国には、富の不平等が横溢している。以下に理念的に平等でも、経済格差があまりに大きく経済的手当てがついてこなければ意味がない。3.米国はむき出しの契約社会である。それが冷酷非情なエゴイズムを産み出している。これは現代の米国社会にも当てはまらないだろうか。少なくとも、トランプはこのような現状を何とかしようとしていたようだが、米国の大衆は、それを良しとしなかった。ところで、その大衆とはかつて独立期の大衆と同じなのか。少なくとも、昭和16年にわが国が戦った米国とは、ドイツ系と英国系が多かった。