旧臘1日母が死んだ。その月一杯慌ただしく過ぎた。眠っていて、寝返りを打つと既に大晦日だった。修善寺の大患のようだった。この1箇月一滴も涙を流すことがなかった。今日、事務所で背中を丸め、文献を指でなぞり乍ら読んでいて、ふともう母には会えないのだと気づいた。凍てついた暗い森林の中で立ち竦んでいるような気持ちが込み上げてきて、思わずうめき声を漏らした。隣に座っていた事務の女性が訝しそうな顔を向けた。何でもない。何でもないんだ。

無くなる1日前、既に昏睡の中にある母を見舞った。酸素圧はゼロに近く、まだ呼吸をしていることは奇跡だと医師が小声で伝えて、去っていった。偶偶家内がナースステーションに行き、私は母と残された。家内は母を見舞うたびに幾たびか声をかけてあげなさいと促していた。しかし、それまで私はなぜか気恥ずかしく、気後れがして声を掛けそびれていた。二人だけ残されたとき、ようやく声をかける機会が巡ってきたと悟った。「お母さん」。その自分の声に驚いた。幼子が、母親を見上げて縋り付くような声だった。もう永劫、そのように私が声をかける相手は居ないのだ。