このところ男女関係の事件ばかり目につく。大概は男が馬鹿で、女を泣かす態の話しである。長い人生を送って、多くの著名人が男女関係で蹴躓くのを見てきた。もちろん、著名人だけではない。自分もひっくるめた周囲の人間の有様も見てきた。その時には、大騒ぎになり、雑誌および報道等でずいぶん叩かれ、追いかけ回されるのを目にした。作詞家、中年MC、俳優、大学教授、芸人、将棋家、政治家など職業は様々であった。しかしながら、信じられないことであるが、いずれも今となってみると何ほどの意味もないことに心底驚かされる。男女関係で噂になった当事者も随分倫理的に問題があるとか、やれ人間の屑など言われていたものであるが、結局そのような経験はいわば屑あるいは滓などであって、それが年経るとともに綺麗に洗い流された障子の桟みたような木目が残って、後は人間としての真価が輝いているかどうかで実は決まるらしい。一頃ヘルマン・ヘッセの「ナルシスとゴルトムント」を繰り返し読んでいた。愛欲に塗れ自堕落に人生を過ごした男が、淫液の染み込んだ手で鑿と鎚を握り聖母マリア像を彫るのである。ところが、その姿の神々しさに胸打たれる。人生はそのようなものであるらしい。