思い立って八幡山を訪ねた。幸いに天気も良く、風も穏やかだった。駅前は随分変わってしまった。私は、一頃世田谷区立八幡山小学校に通っていた。当時、あの小学校が分校として出来上がったばかりだった。当時、私は神戸から転校して、なかなか東京の水に馴染めなかった。熱を出しては寝込んでばかりいたように思う。駅から小学校までは、ずいぶん歩いた。小学四年生の身には、けっこう辛かった。同級生の名前もあまり覚えていない。唯一綿抜君と言う名前を思い出した。たしか小学校の正門前に家はあったと記憶している。それで、小学校の正門まで行って、それから綿抜君の家を探した。何軒かあった。察するに一族で近所に住んでいるのだろう。

赤堤通り沿いにあった「綿抜」の表札がかかった門のベルを押した。奥様と覚しき夫人が応答した。訪問の意図を判じかねたのかなかなか要領を得なかったが、男性の方が応対に出てくれた。昭和38年に卒業した同級生の綿抜君を探しているということを告げた。応対に出てくれた男性は偶然に兄君だった。綿抜君は今年の1月に亡くなっていると分かった。私は言葉も無く暫し立ち尽くした。急に寒くなった道を急いで帰路についた。