“GOOD LIFE” 新米社長の独り言


またまた前回の続き。




1927年、アメリカのワーナーブラザーズが製作した『ジャズ・シンガー(THE JAZZ SINGER)』は、映像と音声が同期した世界初の映画と言われている。これは「サイレント(無声映画)」に対して「トーキー(発声映画)」と呼ばれ、登場人物がしゃべる、効果音が聞こえる、音楽が流れる、という今ではごく当たり前の映画のスタイルは、ここから確立されていった。


ただし『ジャズ・シンガー』は部分なトーキーで、まだ完璧ではなかった。


「You ain't heard nothin' yet!(お楽しみはこれからだ!)」


これは、映画史上初めてのセリフとして有名なもの。


こうして“音”を手に入れた映画は、更に大衆娯楽、そしてビジネスとしてのポジションを確立していくが、ビジネスが大きくなればなるほど、ここでひとつの問題が出てくる。


それは、「言語」。


1920年代以降のハリウッド黄金期、また当時芸術的に高い評価を得ていたドイツやイタリアの映画界。そこで製作された作品たちは広く世界に輸出され、日本でも積極的に輸入&劇場公開が行われていた。しかし、いざスクリーンの登場人物がしゃべりだすと、当然それは日本語ではない。サイレントと違って音声があるので、弁士さんを置く訳にもいかない。


そこで考え出されたのが、言語はそのままで画面内に翻訳文を置く「字幕スーパー」、そして登場人物の言語ごと替えてしまおうという「吹き替え」。


1931年(昭和6年)に封切られたハリウッド作品『モロッコ』は、当時の大スター、ゲーリー・クーパー&マレーネ・ディートリッヒという、今で言えばアンジー&ブラピ的な2人が主演の作品。製作したパラマウント社は日本での劇場公開に際して、史上初の「字幕スーパー」を導入。当時これがすんなり受け入れられたかどうかは定かではないが、少なくとも「言葉が分らん」状態は回避することに成功。映画はヒット。


「字幕スーパー」の導入で『モロッコ』の成功をみたパラマウント社のライバル、20世紀フォックス社。こちらも同年、『再生の港』という作品の上映を控えていた。こちらの作品の主演はチャールズ・ファレル&ジャネット・ゲイナーという、これまた当時のドル箱スター。スター出演映画なら、そりゃあ製作会社は売れると思って公開する。今で言えば『パイレーツ・オブ・カリビアン』みたいなもんだ。


20世紀フォックス社は『再生の港』劇場公開に際し、同じことをやってはやつらの上には行けないぜ的な発想で、字幕ではなく「吹き替え」を採用。これなら字幕を敬遠していた客も取り込めるだろうと、意気揚々と吹き替えバージョンを製作した。


こうして日本初の「洋画吹き替え」が封切られることになるのだが、この「吹き替え」、日本ではなくアメリカで製作された。アメリカ西海岸在住の日本人大学教授監修の元、現地カリフォルニア在住の日本人たちに声優をお願いしたのだ。これが失敗のもと。


当時のカリフォルニアに移住した日本人には広島地方出身者が多く、それが見事にセリフに表れてしまった。登場人物はみんな広島弁でしゃべり、サンフランシスコで展開する大スターの甘い恋模様も広島弁で進行していく結果となったのだ。


別に広島弁が悪い訳じゃないですよ。ただ、『パイレーツ・オブ・カリビアン』がすべて広島弁で進行したらキツイでしょ。


当然これは劇場で観客の失笑を買ってしまい、みじめに失敗。これ以降日本で洋画の劇場公開は「字幕スーパー」が主流となり、1950年代以降TVが普及し洋画吹き替えが放送されるようになっても、劇場で吹き替えバージョンが定着することはなかった。


近年は洋画の劇場公開時に、少ないながらも吹き替えバージョンが製作されることが増えてきた。特に子供向け作品とか。ただ、どうも考え方が古いのか、吹き替えは好きなんだが劇場で観る気にはなれない。子供の頃TVで観た映画はほとんど吹き替えで、それは大好きだったのだが。


余談だが、昔のTV吹き替えはとても味があって良かった。演者と声が合ってたし、かなり無茶な翻訳も、分かり易ければいいじゃん、みたいな感じで平気でやっていた。それが魅力だったのだが、最近はそんなのがなくなってきたような気がする。だから、ちょっと古めの映画のDVDを探す時、「日本語吹き替え版は、TV放映時のものを収録しております」って書いてあると、ちょっと嬉しくなる。



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前回の続き。




そもそも、映画には最初から“音”があった訳ではない。


まだ映画が「活動写真」と呼ばれていた時代、技術的には文字通り“動く写真”で、音なしの映像のみ。人物が登場しても、その声が発せられることはなかった。場面ごとに文字オンリーの画面に切り替わり、そこにセリフが表示された。その映画の母国語の言葉が。


この“音”のない時代の無声映画は「サイレント」と呼ばれた。


ちなみに日本ではこの時代、「活動弁士」と呼ばれる人たちが活躍。スクリーンの隣に噺家のように座り、解説や登場人物のセリフを映像に沿って、言ってみれば吹き替えの様な形で観客たちに聞かせていた。これはとても味わいがある。現在でもサイレント作品のDVDには、弁士さんの音声が同時収録されているのものが多い。


映画(活動写真)は、(なんだか映画史では影が薄いが)エジソンの開発した「キネトスコープ」と呼ばれる映写機から本格的なスタートを切ったとされる。これは箱を覗き込むと何枚もの写真がパラパラマンガの要領で動いて観える、というもの(ディズニーランドにあるやつね)。


これをフランスのリュミエール兄弟が、スクリーンに映し出す「シネマトグラフ」として改良。19世紀末パリの科学振興会で発表し、広く一般に知れ渡るようになる。


リュミエール兄弟は、初めて“活動写真”を劇場公開?した。初めての作品は『シオタ駅への列車の到着』。これは画面の奥から蒸気機関車がプラットホームに入線してくる情景をワンショットで写しただけのものだが、初めて動く映像というものに触れた当時の人々は、蒸気機関車が近づいてくると席から飛び上がって驚いたという。


こうして始まった活動写真=映画。


はじめは見世物小屋的な感覚で扱われ、俳優や演出家も舞台中心のなか、映画に携わるのは屈辱的な行為とまで蔑まされたこともあったらしい。


しかし、少しずつ撮影や編集技術の進化、クローズアップやモンタージュなど映画技法の確率、ドラマ性の向上が飛躍的に遂げられ、またハリウッドが形成されつつあったこともあり、1910年代以降は広く大衆娯楽として受け入れられる。今だ名作と呼ばれる作品も次々と製作され、映画スターや製作者は各国の名誉と名声を手にしていった。


こんな感じで発展を遂げていった映画界に1927年、いきなり“音”が現れた。


「You ain't heard nothin' yet!(お楽しみはこれからだ!)」


いきなり映画が、しゃべりだしたのである。





このお話、また続きます。


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ちょっとした小話を。


最近映画館に出掛けて映画を観る人が減っている、なんて話をよく聞くけど、私はよく映画館に行く。やっぱりあの大画面で観ると、迫力が違うからね。最近のシネコンは指定席だから並ばなくても良いし。


さて、洋画を映画館で観るとなると、日本では「字幕」が一般的。最近は「吹き替え」での上映も増えてきたけど、一般的な認知度としては、劇場では「字幕」、TVでは「吹き替え」。


でも、欧米ではこれがまったく異なり、母国語以外の映画が上映される時、劇場でも「吹き替え」が一般的。「字幕」という文化はあまりないらしい。つまりアバターの様なハリウッド作品(言語は英語)を非英語圏(例えばフランスとか)で上映する際は、はじめから吹き替えバージョンしか上映がないとのこと。日本とはまるで逆。


確かに、吹き替えは演者と声のイメージが合っている場合、とても気持ち良く鑑賞できる。もちろん字幕には字幕の良さがあるが、特に情報量の多い映画は吹き替えの方がすんなり鑑賞できる。


では、なぜ日本では欧米と違って吹き替え文化は根付かなかったのか。


このお話、次回に続きます。


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