会社が潰れる。
その時、
「1年に3度の交通事故」ってのにあう。
会社を潰していく時、
ボクが考えたのは、
仕入れ先に迷惑をかけないこと。・・・・「協力会社」として働いてくれてたところを含む。
・・・・あとは・・・
一番は、
「社員」のことだった。
「きれいごと」じゃない。
真面目に、
それだけを考えた。
長いヤツは、もう10年以上も一緒に働いている。
ウチにいるときに結婚して、
ウチにいるときに子供が産まれた。
そんな社員が何人もいた。
その社員、家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。
ウチは、潰れていくけど、
社員たちの落ち着き先だけは確保しなきゃなんない。
・・・・もう、
最後はそれだけだった。
・・・・ようやく、
ウチの社員、
ウチの業務を引き受けてくれる会社が現れる。
事務所を引き払って、
その会社に、全員でお世話になった。
・・・・そして、社員たちを転籍させていく。
・・・・そして、業務がまわるようになる。
そこで、
ボクは、
その会社を去った。
限界だった。
精神的に限界だった。
社員たちの給料は払ったものの、
仕入れ先、協力会社への支払いはきれいに払ったものの、
銀行への返済は滞っていた。止まっていた。
毎日、
「金返せ!!」
金融筋からの電話がかかってくる。
その電話の数、1日、10件弱。
悪いのはボクだ。
返済ができていないボクが悪い。
だから、電話には出た。
受け答えもちゃんとする。
つまり、
ちゃんと電話に出るってことだ。
毎日毎日、
「金返せ!」
その電話に向き合うだけで精一杯の日々になってしまっていた。
毎日毎日、
朝から晩まで、
「金返せ!!」
言われ続ける。
もちろん、悪いのはボクだ。
わかっている。
だから、ただ、言われ続けるしかない。反論の余地、弁明の余地もない。
毎日毎日、サンドバック状態が続いた。
・・・・・精神は限界だった。
社員たちの転籍、
社員たちが、受け入れ先の会社でやっていける。
・・・・・その道筋ができた時に、
ボクは、
その会社を後にした。
とても、
日常業務はできはしない。
いっかい、
金融筋と、
キッチリと話し合いをしないと、
ちゃんと、
今後の筋道を立てないと、
「生活」
が成り立たない。
・・・・もちろん、
もう、
「人生、どーでもいい・・・・」
そういう気分だ。
このあと、
人生、
生きていこう。
そんなつもりもない。
もう、気力もない。
・・・・ただ、
いっかい、金融筋とは、話をまとめないと、どーにもなんないと思った。
・・・・つまり、
仕事なんかしてられない。
金融筋の電話に出るだけで、1日が過ぎていく。
とても、「労働」とか、・・・・もっと言えば、日常生活すらおくれなかった。
それで、
社を去ったんだった。
家賃25万円のマンションから、
下町、
家賃6万円の、木造アパートに引っ越した。
維持はできない。
だから、
もちろん、
金融筋との話し合いに専念するために、社を去った。
話し合いは一筋縄にはいかない。
何といっても、
「自己破産」だけはできない。
叔父が保証人として人質になっていた。
母の住む実家を担保に入れてしまっていた。
生きる気力はない。
それでも、
叔父に迷惑をかける。
オカン、弟の住む家を奪うわけにはいかない。
最後の、
最後の、
最後の気力を振り絞って、
金融機関との話し合いに臨んだんだった。
・・・・その後のことは、
その頃のことは、
おおむね、
で描いたよな。