電話が鳴っていた。

助手席に転がった携帯。

 

・・・・たぶん、直也からだ。

 

何度も直也から着信が入っていた。

 

 

別に無視しているわけじゃない。

 

昼間から何度も着信があった。

折り返したけど今度は直也が出ず・・・そんな行ったり来たりが何度か続いていた。

 

今は運転中だ。

 

運転中は電話に出ない。そう決めていた。

 

ハンズフリーだろうが何だろうが、電話しながら運転できるほど、自分のドライビングに自信はない。

 

・・・・ましてや、運転しているのは繊細なスポーツカーだった。

 

 

ステアリングに遊びがない。

電話しながら運転など絶対にできなかった。・・・・電話に出たところでリアで吠えるエンジン音で相手の声も聞こえやしない。

 

 

 

首都高速。

ダッシュボードの時計は21時を回っている。

綺麗に晴れた空だ。綺麗に月が見える。

 

東京の東京。

高層ビルを縫う様に高架が伸びている。

道路が右に左に蛇行を重ね・・・・さらには、右からも左からも合流車線がある。

基本2車線の道路が3車線・・・4車線に別れ、そして合流し、分岐していく。

 

 

前の・・・1964年の東京オリンピックに合わせて急ピッチで造られた高速道路だ。

 

用地買収の手間をかけられず・・・それならばと「河川」の上に高架を走らせた。

そして、いくつもの合流、分岐を急造で造りあげた。

 

結果は、今の「人間工学」とやらを、全く無視したような高速道が出来上がっている。

 

 

田舎からイキがって入ってきた「暴走族」が、降りたいところで降りられず、行きたい場所にも行けず「ベソ」をかきながら逃げ帰る。・・・・そんな「都市伝説」にはことかかない。

 

 

「首都高速専用免許」が必要だ。

 

 

東京の運送業、配送業、タクシー・・・プロドライバーの中では良く聞く台詞だ。

 

首都高は常に渋滞している。

 

日本の首都、そこでの都市交通網だ。渋滞して当然。・・・・しかし、その原因の多くを地方ナンバーの車が作っている・・・・そう言うプロドライバーが多い。

 

 

間違いなく日本で一番難しい道路だと思う。

 

 

しかし、ボクにとっては勝手知ったる何とやらだ。

 

首都高の道路は、全て、完璧に頭に入っている。

 

 

平日。夜。

交通量は少ない。

週末になれば増える「走り屋仕様」の車も、平日、今日は少ない。

 

 

追い越し車線を巡行する。

 

前を走るファミリーカーが走行車線に入る。道を譲っていく。

 

別に車間を詰めたりはしていない。

流れに任せて普通に走っている。

それでも、低いヘッドライトの位置。さらには明るいキセノンランプが道を譲らせるんだろう。

 

 

ボクが運転しているのはポルシェだ。

 

ポルシェ911。

 

世界中で愛好家が存在する、希代の名車だ。

 

新車で手に入れた。

 

一番安いグレードだったけれど、・・・・それでも全てを入れれば優に1,000万円を超える。

 

漆黒の車体。

 

当時流行っていた漫画に「ブラックバード」というポルシェ911ターボがあった。・・・それに憧れた。

 

 

しかし「ターボ」は高い。

全てを入れれば 2,000万円近くになる。

・・・・さらには、高性能な「ターボ」を乗りこなす自信がなかった。

 

 

Porsche911

 

 

純然たるスポーツカーだ。

日本のスポーツカーがファミリーカーにしか感じなくなるほどに、純粋なスポーツカーだ。

 

・・・・いや、純粋なスポーツカーというより、「優れた工業製品」と言った方が正しい。

 

 

「走る」「曲がる」「止まる」

 

 

車という機械に求められる基本性能を、とことん追求した容が Porsche911 なんだと思う。・・・・そう感じ、そう気づいたところがボクの人生には大きかった。

 

 

ステアリング操作・・・・アクセルワーク・・・・独特なクラッチ・・・

 

どれもが、シビアさを要求される。乗り手を選ぶ。

 

 

「運転」という動作が「スポーツ」になる。

 

雨が降れば手に汗をかく・・・・雪が降れば乗ることは命の危険だ。

 

世界でもポルシェ・・・さらには911にしかないといっていい RR という構造。

この車は、通常は・・・多くの車がフロントに積んでいるエンジンをリアに設置している。

リアにエンジンを積み、リアのタイヤを駆動する。・・・・RR そんな独特の駆動方式を採用している。

 

その結果、車の前後重量配分が、どうしても「後ろが重い」という状態になる。・・・・それは「後ろが流れる」・・・スピンをしやすいという癖を持つ。

さらには、後ろが重いために、前が軽い・・・ということは、舵を切る、前輪の接地感がどうしても弱くなる。

 

・・・・もちろん言葉にすれば・・・といったことで、実際の前後重量配分は限りなく50:50に近く造られている。

 

しかし、これらがポルシェ911の特徴で、ドライビングフィールで・・・この車を自由自在に操ることは、車好きにとっては堪らない魅力になる。

 

 

・・・しかし、とても、安楽に長距離は走れない。

ましてや、雪道なんぞ自殺行為だ。

 

 

ボクが地元に戻る時に雅裕の車に同乗させてもらうのは、そんな理由もあった。

 

 

 

ボクには高性能版の「ポルシェターボ」は乗りこなせないと思った。

 

さらには価格の問題・・・

それで、一番廉価なモデルにした。

 

 

それでも「ブラックバード」への憧れは諦められない。

 

 

それで、漆黒の車体に大きなリアウィングをつけていた。

 

 

 

車が好きだった。

 

父が大型トラックの運転手だったのが大きい。

 

父は、幼かったボクを大型トラックに乗せて日本全国を旅した。

 

 

走りながら、当然に車好きだった父から、いろんな車の話を聞かされた。

 

「三つ子の魂百まで」ってやつだろう。

当たり前に、車好きに育っていった。

 

・・・・それに、ボクたちはギリギリ「スーパーカー世代」と呼ばれる年代だ。

学校では、誰もがスーパーカー消しゴムで遊んだ。

高性能スポーツカーに憧れた世代だ。

 

 

高卒で就職してすぐに車を買った・・・・昔の男の子が皆そうだったように、18歳になれば・・・就職すれば、何はなくとも、まずは車だった。

 

最初に手に入れたのがスカイラインだった。

 

「名ばかりのGTは道を空ける」

 

揶揄された、最も運動性能の低かったモデルだ。

 

それでも、初の愛車が嬉しくて・・・楽しくて、毎週、仲間内で「首都高」を走った。

 

・・・別に「暴走族」ってわけじゃない。

 

・・・暴走族は首都高なんぞ走らない。

下道、国道を大きな音をたてながら大人数で暴走する。

 

 

ボクたちは、ただ、数人で・・・・同じく、新入社員で車を買った者どうしが、数台の車を連ねて首都高をドライブするだけだ。

 

・・・・当時は、首都高は500円とかの定額制で・・・・入場料として500円払えば、どこまででも乗ることが・・・・乗り続けることができた。

 

・・・・ということは、「首都高環状線」は、500円を払えば、何周でも走り続けることができた。

 

そんな連中はボクたちだけじゃない。

 

他にも何人・・・・何台もの車がいた。

 

 

「首都高速道路」

 

昼間は大渋滞のビジネス道路。

 

 

しかし、週末の深夜。

 

一般車がいなくなった時間帯は、一気に、首都高環状線はサーキットと化した。

 

 

それでも、当時は、まだ牧歌的なもので・・・

 

5ナンバー車ばかりで・・・・つまりは、せいぜい2,000CC車。

速い車といっても、せいぜいが出てきたばっかりの日産のターボ車。トヨタのツィンカム車。そんなとこだった。

 

ボクが乗っていたスカイラインは、ノンターボの2000GT。

 

一緒に走っているメンバーも似たようなもんだった。

 

トヨタのセリカ。

ホンダのプレリュード・・・・・

 

 

みんな、車・・・・さらにはカーオーディオにローンを組んで、気に入ったカセットを聞きながら首都高をドライブする・・・・それが、高卒、18歳で就職した少年たちの唯一の楽しみだった。

 

 

ある日。週末の夜。

同じように首都高を走っていた。

 

5台くらいで走っていたか・・・ボクは最後尾を走っていた。

 

時間は、日付が変わろうとしてた頃だ。

 

すでに、一般車両はいなくなっていた・・・・

 

だんだんに、首都高全体の速度が上がってきていた。

 

 

 

ボクたちは追い越し車線を巡行していた。

 

走行車線を走る車たちを追い抜いていく。

 

 

・・・!

 

 

ルームミラーに映る走行車線の1台、そのヘッドライトが微かに上を向いたのが見えた。・・・パッシングとか、ハイビームにしたとかじゃない。・・・微かにだ。

それは、車が急加速を始めた証拠だ。リアにトラクションがかかり、フロントが若干上がった証拠だ。

 

追い越し車線に躍り出た。その車は猛スピードで追撃に入った。

 

慌ててボクは走行車線に入る。道を譲る。

 

週末の首都高では公道レースさながらに走る連中がいる。・・・ボクたちにはそんなつもりはない。・・・・そんな度胸もない。そんなテクニックもない。

 

 

同じように前を走る仲間の車たちも、次々に走行車線に入って行く。

 

 

あっという間にぶち抜かれた。

 

 

 

後ろ姿を呆然と見送った。

 

・・・・何か違うものだった。

 

ボクたちが乗っているのは乗用車だった。・・・それとは異次元の速さ、乗り物だった。

 

 

「Porsche」

 

 

リアに輝く文字が眩しかった。

それが出会いだった。

 

 

そして・・

 

考えてみれば、それは大きな出会いだったんだ。

 

 

 

・・・・また、助手席の携帯が鳴っている・・・・・何か、直也が泣いてるような気がした・・・