みなさま、こんにちは!
沖縄はもう梅雨明けみたいですが、それ以外の地域ではしとしとしとしと、雨の日が続いていますね~。
今年はどうか自然災害だけは逃れますように。
ハワイのクムフラがチャントというお祈りを唱えると、空に虹がかかると言われていますが、日本でも。
大きな台風や自然災害が予測される時には陰陽師や阿闍梨の方々が祈祷をしています。
天皇陛下の即位式の時の虹は、不思議な力を目の当たりにした瞬間でしたよね。
みんなで今年の雨や台風が穏やかなものとなるように、お祈りしたいですね。
こんなうつうつとした雨の季節にオススメなのが、ミントバス!
糸島の家の庭にわっさわさと茂っているミント。ミント水やミントティーにしても追いつかない。
そこでお風呂に入れてみましたよ。
普通は不織布とか何かに入れた方が良いのだと思いますが・・・・ここはワイルドにそのまんまをドーンっ(笑)
はぁ~~~~、いい香り~~~~!
お風呂も空気もクリアなブルーのミント色に染まりそうな感じ!これは気持ちいい!
そして湯上りも、少しスーッツとする清涼感があってサッパリしますよ~
あ、ただお肌が弱い方や傷がある方はダメです。
チビちゃん、足の虫刺され跡がとってもピリピリする!としみておりました(苦笑)
その場合にはミントをガラス容器に入れて水をいれて、3時間くらいすると
美味しいミント水が出来上がりますから、身体の中から清涼感を楽しんでくださいね。
糸島は自然しかないところなので、雨の日はすることがない。(笑)
近くに歴史資料館があるので調べてみると・・・・
なんと国宝の勾玉があると!うわ、こんな田んぼの真ん中に?
それは観に行かなきゃ、と訪れてみました。
https://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/040/010/20190911144351.html
小さな資料館だから・・・と思っていましたが、いやぁ、なかなかすごかったです。
縄文時代から弥生時代の貴重な遺跡やら資料がたくさん。。。
一日中いれるくらい、ロマンに溢れていました。。
最近は物を買いたくない、物を捨てたくない、という気持ちが高まってきていて。
その中でもついつい季節ごとに買ってしまう洋服や靴をどうにかならないか、と思っていました。
気分が上がらないのも嫌だし。でも捨てることわかっていて買うのも嫌だし。
そんなことを想いながら、昭和初期の頃の糸島の暮らし、という展示をみていたら・・・
うわぁ・・・・・・・・。たった80年くらい前までは、何も買わないし何も捨てない生活だったんだぁ。。。と
驚愕。
これ、なんだかわかります?
シュロ???
なんとこれ、ヤシの木から作ったレインコートなんです。
なんだか縄文っぽくて、カッコイイような、なんともプリミティブ・・・と思っていたら、主人が
「あぁ、これそういえばじぃさんが田んぼで着ていたなぁ~。」って!!
「え!?パパ、これリアルに見たことあるの?このプリミティブなものを?」
と聞いたら、苦笑い。何言ってるんだ~、おれのおやじだって着ていたし、おまえこそ笑われるぞ~。と。。
なんでも通常のわらで作った蓑よりも水ハジキが良くて、沖縄や九州の南部でしか原料がとれないので高価なものだったのだとか。
これを手入れをしては何年も、世代を超えて使い続けていた、と。
検索していたら、下記の記事も。そうかぁ、、、もう作れる人がいなくなりつつある技術なんだなぁ。。
たったおじいちゃんの代、2世代前の話なのに。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/413952/
わらじもたくさん。
高度経済成長の前まで、1960年くらいまでは、田舎ではみんな雨の日には手仕事でわらじを編んで、着物や蓑を修繕して、長く長く使っていたんですよね。。。暮らしに根付いた「衣」の文化、消えつつあるなぁ。。。
そして国宝の勾玉が。これはなんと2000年くらい前!
たった80年前までは、すべて手作りの素朴な「衣」で暮らしていた、というのも驚愕でしたが。
一方で2000年も前からこんなにも手が込んだもので「飾る」文化もあったとは。。。
うーむ。。。。これはなかなか奥深い。
わたしたちが暖をとり、裸を隠す以上のものが衣服にはあって、その本質を掴まないことには、洋服を買わないというのは何かを欠くことになる、不自然なやせ我慢になる、ということだなぁ・・・・。
それでは続くはずがない。
もうこんなにもオタクの血が騒ぐテーマはないです。かれこれここ数カ月、ずっと縄文の衣服やら世界の狩猟民族の衣服やら、比較文化やら哲学やら・・・・
読み漁っていますが、まだまだ底につかない奥深さがある。。。
今までテーマにしてきた肌は、いわば脳。神経細胞が枝分かれして、集合体になったのが脳であり、より広くの情報処理に回ったのが肌だ、という説が主流になってきましたし、わたしもそこを深堀してきました。
そして、次は肌の1つ外側の「衣服」。実際にはこの衣服が、いわゆる「肌」だったんじゃないかなぁ。。。。と。
外の世界と自分の境目。社会との接点。服はもう一つの肌。
アーユルヴェーダやシュタイナーの世界では、身体のそのさらに外側に、その人のオーラの層があるという考えがありますが。
まさにそのオーラの層と一体となるのが服だとしたら・・・・
わたしたちがその日の気分で着たい服の色が変わるのも、24節気や天体のリズムで着たいものが変わるのも、すべて意味があることなのかもしれません。
だったら、ベーシックな親子3代着れる良質な服と、気分で色を変えられる24種類の宝石があったらよいのかしら。などなど・・・
着ることとは、捨てずに暮らすこととは、まだまだ探索は続きそうです。
雨の日は、こんな妄想を膨らませるのにぴったりですよね~~!!