帰国直後。
空港からバスで上本町に向かう途中。
溜まった携帯メールチェックをしておりました。
幸いながら仕事関連のメールは無く、それ以外の一発目の受信。
同じく帰国直後の母より
「祖父が亡くなった」
父の父である祖父は、今は父の生まれ故郷である熊本に住んでいるが
以前は徳島で我が家でずっと一緒に住んでいた。
最近では祖母の具合が悪く、祖母の入院や手術にあわせて
父も熊本に帰っていたり、バタバタしていた中、
祖母が退院して元気になって、じーちゃんも一安心だね、よかったね、
と言ってたホントに直後の事。
私がガキの頃は一緒に住んでたじーちゃん。
戦時中は満州に出向き、中国にいる時に父を生んだ祖父母。
我が家では後にも先にも喫煙者はじーちゃんだけで、あの部屋はタバコ臭くて
あまり好きではなかった。
今では帰省時にはその部屋に私は寝泊りするんだけれど。
新聞に挟まれている広告を捻って捩って編み上げて、籠や小物入れを造ってくれたり
いつもじーちゃんの手先の起用さに目を輝かせていた幼少の私。
最大の思い出ともなっている「ハトの唐揚げ」。
畑に罠を仕掛けて捕らえたハトを捌き、唐揚げに。
それを知らずに、やや小さめの肉を「なんかこの肉、黒っぽいね」といいながら
美味しく食べている中、「ソレ、今日取ったハトだよ」と聞かされた
あの時のインパクトというか。。。。(美味しかったし)
私が中学くらいから熊本に移り住んだのだろうか。その辺の記憶は曖昧。
それ以降、高校卒業、大学入学、大学卒業、大学院も就職も同様で
いつもお祝いを送って貰い、そのたびに電話したり
夏休みや正月休みに帰省するたびに、父も私も大好きな
カラシ蓮根や馬刺しを熊本から送ってくれて。
ホントに大好きなじーちゃんでした。
ちなみに母は帰国したその日の夜行バスで熊本に行った。
弟は我々が帰国した頃には既に京都から熊本に移動中だった。
即、妹にメールを送った。
「私の代わりに、葬儀に出て欲しい」
と言われた。
私としては、友人以外で親しい人の死別に直面したのは初めて。
何だか状況を把握できないまま、否、把握できたんだろうけど
目下、会社人としての現実を拒否できずに関西から動けなかった。
受け入れがたい現実を、非現実にしておきたい気持ちが勝ったのかも。
弔電をインターネットで申し込んだ。
正直、何も考えられてなかった。
アタマは白紙のまま、体裁だけ整えた弔電が、最後に読まれたと母に聞いた。
私には、今の自分の気持ちを表現できるコトバが思いつかない。