先回のSM-SX10様 が、「でじたる」 方式だったのに対し、
このひとのほうは純然たる、「あなろぐ」 増幅方式で、
加えて ”ねがてぃぶ・ふぃーどばっく” という、
音の歪みを取り去ってしまう、魔法の技に頼らずとも、
じゅうぶん素直で伸びやかな、声を聞かせてくれるとか、
それに、SX10様が、名前を聞けばおーでぃおよりも
液晶テレビや携帯電話を思い起こさす家 の出なのに、
このひとのほうは、この業界でも、とりわけ名家 にお生まれで、
そもそも一般向けではなくて、業務用途の生い立ちやらと、
いろんな意味でSX10様と対象的な存在だったし、
この両人とも、某お~でぃおしょっぷで、
改造手術を施したるが、ちょっとした評判だったりと、
ひところは良い ”らいばる” と、並び称された感もあり、
先の話の終いに書いた、方式違いを試してみるに、
やっぱり避けて通るわけには、いられず仕舞い、だったのです。
2007年の11月に、良い縁あって中古を入手し、
SX10様との歌合せをば、執り行ってみたところ、
思ったとおり、さまざまな面で対照的と映ったのです。
SX10様ならば 「涼やかに」 とか、 「コントロールされた」 など、
秀才めいた表現を、まずは思い浮かべるのに比べ、
このひとのほうは 「熱く」 とか、「押さえつけない」 「活きの良い」 、
あるいは 「生成りのまま」 という、言葉がとてもお似合いでした。
中でも、「熱い」 と言うイメージが、まずは浮かんで来るでしょう。
高回転で馬力を稼ぐ、ハイスペックなエンジンの、
けれどもやっぱり余裕のなさや、神経質さは程遠く、
大排気量の余裕を見せて、少々のことにはびくともしない
野太い咆哮のイメージに、重ねることができたのです。
それに 「やっぱり人間の、演奏だもの」 と言わんばかりの、
音に現る演者の想いを、しっかと懐に受け止めて、損なわなかったようなのです。
だから例えば生音と、再生音とを比べたときに、
例えば 「こんなに分離しない」 とか、「こんなに綺麗に聞こえない」 という、
どこかに感じる違和感や、ストレスなどを、このひとからは、
感じないでも済んだのです。
でも一方で冷静に、導き出される音の性質 (たち) をば、
受け止め耳を傾け直すと、実は繋がれた 「すぴーかー」は、
可哀想なことになってやしないか?と、思わされるような部分もあって、
本当は 「もう止めたいの!!!」と、すぴーかー側が懇願しても、
そちらの都合はお構い無しと、言わんばかりに衝動めいた、
あるいは 「どーぴんぐ」 よろしく、無理矢理打たれる興奮剤に
衝き動かされるかの如き、やや強引な勢いを感じ、
実は辟易とした瞬間も、まるきりないでは、なかったのです。
※ 当時関わっていた人の、暑っ苦しいイメージをば、 勝手に重ねていただけかも。。。