607MRさんとのお見合いを終えて 、心地よい疲労感に浸りながらも、
わたくしの頭からは、どうしてもある思いが、離れなかったのです。
えくすとらさん からの10年間に、いったい何が、
607流のお家にあったのだろう。。。
それほど、えくすとらさんとMRさんとのお唄には、
地声そのものの隔たりがございました。
そして、このご縁がきっかけとなり、わたくしの内には、
607流のお家の、芸事諸般の変遷を、しっかり見極めなければ、
という思いが、芽生えたのです。
とはいえ、根が卑しいわたくしが取れる方法なそ、
所詮は下賎の手合いをはみ出せるはずもございません。
かくして、2008年の年明けから、身の上さまざまな方たちが集う、
「Yah○◎おーくしょん」 なるテレクラにて、
607流ご出身を名乗る3人の娘御さんに、立て続けにお付き合いを申し込み、
その中で、今回のお話の主役であるこのひととは、
ちょうど松の内が明ける頃に、逢瀬の契りを交わそうとしたのです。
えくすとらさんから後の山水宗家さんでは、
流派を問わず"NM-LAPT”なる簪が流行りだったことは、
常々うかがっておりました。
そして、さまざまな方々のお話を見聞きするに、
このひとは、えくすとらさんからは本当に、
簪「だけ」を変えたものらしい、とも。
はたして、簪を変えただけの、その歌声は、
なんでこんな娘がテレクラに?と思わせる、
可憐でやさしく、清純極まりないものでした。
けれども、歌唱のいでたち全体を見渡せば、
残念なことに、いささか声の質にのみ頼った、
一本調子な表現として、わたくしの心には響いてしまい、
えくすとらさんのような、酸いも甘いも噛み分けた
大人の風格からは、かけ離れて聞こえてしまったのです。
簪一つで、確かに芸事の見栄えも変わる。
でも同時に、長い年月をかけて培われてきた「調和」もまた、
新たに築かねばならぬ難しさ。
若いうちは、その素養だけで「清純派」を気取れても、
内実が伴われなければ、年を重ねるに従い、
ただただ惨めな思いを噛み締めることになる。
このまま進めば、そんな行く末が
この娘の身に待ち受けているであろうことは、
想像に難くはありませんでいた。
そんな未熟な、けれども前途ある彼女の人生を、
わたくしのような堕落ものが汚してはいけない。
そう決心したわたくしは、誘い出した自らの不貞を省みず、
この娘にできる限りの説得を試みたのです。
「きみは、もっと、自分を安売りせず、
そうして、焦らず、自分を磨いてごらん。
そうすれば、きっと、きみ自身はもちろん、
きみと出会うすべての人を、幸せにできるだろうさ。。。」
テレクラに身を投じたは若気の至りか、
わたくしのもとを去る彼女の目には、
焦りと迷いから解き放たれた喜びの涙が一筋、
確かに清清しく、浮かんでいたのです。